娘の入学式を終えてから怒涛の日々を過ごしています![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
帰った直後からノンストップで名入れと保健関係の提出物と教科書の乱丁チェック
6:30には私も娘も起きて
娘を送ったあと洗濯機を回してお買い物をしたらあっという間にお迎えの時間という感じ
自分でもこんなに動けるのかとびっくりしています(笑)
私ずっとずっと、頑張ることが怖かった
またうつになったらどうしよう
体や家族が壊れたらどうしよう
尽くしすぎて愛されなくなったらどうしよう
→頑張った後に落ちたらどうしよう
「強制終了」したあの頃に戻ったらどうしよう
でも、
何年も「手放す」をチャレンジした今の
「頑張る」は感覚が全然違っていた
ご飯炊くのも
食器洗うのも
お風呂洗うのも
ほっとけば夫がやってくれるようになっていたけど
それも敢えて私がやったり
やっていなかった分もやってみたりすることで
(段ボール縛ったりとか(笑))
なんにもできない私
にしがみつくんじゃなくて
やらない私も
やる私も「選べる」から
「動ける自由」があることにも気づいた
「手放す」をある程度までやって
今度は「手放せない」自分にも限界を感じていた
家事代行をもっとお願いしないといけないんじゃないか
こんなに頑張っちゃだめなんじゃないか
手放せない私はダメなんだ
今度は逆にそれが自分を縛っていたんだね![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
それに、
頑張った後落ちるのも
当たり前のバイオリズムだし
落ちたときも寄り添ってあげようと思ってる
そこもまだやっぱり許せてなかった
どこかで「一定がいい」って自分の中のジャッジがあった
そんな今は、
また自分でやってみる時期なのかもしれない
あんなに嫌だった
アラームで起きることも
娘の遊びに付き合ってお昼寝できないことも
できていて
充実していて
もちろん休むときは休めて
家族を優先する自分も
それでイライラする自分も
あれ?なんか悪くないじゃん
って思えたよ
![にっこり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/614.png)
それが嬉しかった