やっと少しは涼しくなり、久しぶりのコンサート。音楽監督最後のシーズンをむかえた、ジョナサン・ノットの指揮する、モーツァルト・マチネー。

今回のメインは、モーツァルトのシンフォニーで、私が一番好きなジュピター。ノットは、2019年に東京交響楽団の東京オペラシティシリーズでジュピターを演奏していて、当然、聴きに行っているが、不思議なくらい、印象がない。予想したとおりの、俊足のモーツァルトだったということくらい。あれから六年。さて、今回は、どんなジュピターになるのか、たいへんに楽しみな気持ちで、ミューザ川崎に出向いた。

 

第一楽章、快速で曲は進む。前回もこんなだったかな程度に思っていたら、第二楽章が素晴らしかった。私は、この曲の、特に第二楽章は、晩年のモーツァルトが到達した深い境地をぎゅっと圧縮したような音楽で、この曲の最大の聴きどころのひとつと思っている。こちらにも書いたとおりだが、晩年のモーツァルトの音楽の多くは、転調による長調と短調の交錯が、まるで自然の移ろいを思わせるような、味わいと深みを聴かせる。

手持ちのCDでよく聴くのが、パプロ・カザルスが指揮したライブ盤で、武骨なまでの「隈取り」で、この「光と影」を、遅めのテンポで展開する。しかも、全体として、モーツァルト独特の、弾むような音楽感は失われていない、稀有な演奏だ。未聴の方は、ぜひ。カザルスのために編成された臨時の音楽祭オーケストラとの、ハフナーからジュピターまでの六曲がワンセットになっている(特に、プラハは、お勧め)。

この第二楽章の、喜悦と憧れと憂愁と悲哀が、目くるめくように変化していく様を、ノットと東京交響楽団が、なんと快速のテンポで次々に抉り出していく様は、大げさでなく、奇跡を目の当たりにしているようだった。10年を越える「協演」で熟成された音楽。快速で痛快に過ぎていくモーツァルトは、いくらでもある。また、例えば、カザルスのように、ゆっくりとその明と暗の深淵をのぞかせてくれる演奏もある。ノットと東響が繰り広げていたのは、快速で、モーツァルトの音楽の美質である愉悦感を失うことなく、かつ、その音楽の深い深淵を味わわせるという、離れ業だった。

同様のことが、あまり目立たずに、続く第三、第四楽章でも起こっていた。さて、そのせいなのか、終了後、客席は、思ったほどには盛り上がっていなかった。受け狙いをするなら、第四楽章は、音量をあげて、痛快にすっ飛ばして終わらせれば済むことだ。現に、大半のジュピターは、そんなふうに終わる。ノットは、時には、あえてギクシャクと、一筋縄ではいかない、この曲の合わせ技のような構造を深堀りして、十二分にこの天才の技を味わわせて、しっかりと落ち着いて最後を結ぶ。

脱帽。これが、ノットと東響の辿り着いたモーツァルト。

 

さて、以上、素晴らしいモーツァルトでした。で、ハナシが終われば、「めでたしめでたし」なのだが、これに先行する二曲を聴かなかったことにするわけにもいかないだろう。

御存知のとおり、古典の名曲に、現代曲をあわせるプログラムは、ノットの常套で、「フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲」の精妙な音と音色のグラデーションは、ひょっとして、複雑微妙な変化を見せるモーツァルトにつながるかなァと、思ったりはした。こちらにも書いたとおり、ブルックナーと近現代音楽という組み合わせの場合は、両者の意外な共通性が「耳」で、納得できると感じたりもしたが...。

「マカーブルの秘密」の方は、演奏者の方々には、たいへんに申し訳ないが、有体に言えば、出来の悪いコントを見せられたよう。リゲティを「推し活」しているノットが、自分の任期を終わる間近に、ここに押し込んだのではと、勘ぐっている。

なんでこんな言い方をするのかというと、話がそれるが、ノットに興味を持ち、何度もコンサートに通い、ノットが「合わせ」で入れる、あまり接してこなかった近現代音楽をいくつも鑑賞させていただいたが、正直にいうと、私には、いわゆるクラシック音楽の、最後の悪あがきにしか見えない、いや、きこえない。この日に先立つ、東京オペラシティシリーズでは、ハイドンの交響曲が冒頭に加わった、同一プログラムだったが、あるブログに、「マカーブルの秘密に大爆笑」とあったが、ホントか?「大苦笑」なら納得だが。

ノットの「仕掛けて」くる、そうした「推し」のプログラムがつまらなかったわけではない。むしろ、楽しかったものが多い。この日の、一曲目のリゲティも、面白かった。が、ヘンなたとえかもしれないが、おいしい食事の前に、強力なビタミン剤かサプリメントでも飲まされているような気分なのだ。

「音楽の友」という雑誌があって、ずっと不思議に思っているのだが、ここでは、いわゆるクラシック音楽以外の音楽が扱われていない。それって今どき、もうヘンでしょ?ゴマンと音楽があふれているこの現代、クラシック音楽は、音楽のひとつにすぎないし、それを特別視(つまり、クラシック、上級と呼ぶ)する理由も、もう見当たらない。いずれ、「その他」の音楽に「溶けて」いくのが、クラシック音楽の未来だと思っています。

 

閑話休題。失礼なもの言いは、どうか勘弁。

 

以上のようなことを考えさせてくれたという意味でも、ノットと東京交響楽団の演奏を10年にわたって聴き続けてきたことには、深い感慨があり、数多くの名演に接してきたことは、私の宝です。このジュピターで、またひとつ、宝物が増えました。また、近現代音楽を積極的に追及するノットの姿勢は、東京交響楽団の演奏に多大な影響を与えたと想像します。あの繊細にして大胆なジュピターも、その成果のひとつなのだと思います。

 

今シーズン、私が聴くノットは、あと二曲。マーラーの九番のシンフォニーと、ベートーヴェンの「合唱」。ノットがラストに選んだ二曲。ノットが、どのように最後を締めくくるのか、今から楽しみです。

 

 

リゲティ:フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲

リゲティ:歌劇「ル・グラン・マカーブル」より“マカーブルの秘密”

モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」

 

フルート:竹山 愛

オーボエ:荒木良太

ソプラノ:森野美咲

ジョナサン・ノット指揮

東京交響楽団

 

2025年9月21日

ミューザ川崎シンフォニーホール