11月は、ちょこまか走り継続で、総距離111キロくらいだった↓
22,23年サボりで、もう完全にダメ人間に
24年1月から心を入れ替え、トレミル中心で開始
7月からジム有料化されたのを契機にロードに移行
8月12日に、お菓子を食べない宣言
甘いもの食いたくなったら果物
そして練習前のストレッチもきちんと行うように
11月15日から、大気汚染拡大期でやむなくジム契約
ロード、ジムを使い分け
こんな経過で24年の11ヶ月をリハビリに費やした
体重は年初から5-6キロ減った
で、12月1日は久々の21Kレースへの出場
そんな日を迎えた
Viettel Marathonっていうやつ
10日くらい前に、コース変更があったり
やっつけ感満載のベトナム風味↓
変更前
変更後
同じなのは、スタート、ゴール地点がMy Dinhだってことだけ
あとはまるで違う
前日のレースキット受取も非効率の極み↓
パッケージには、直前に決まったスポンサーのパンが一個入っていた
受付の人は英語は全く話せない
長蛇の列だが、整理する人はいない
時々横入りがある
っていう具合
フル、ハーフの完走者はそれぞれ、1231人、2231人
だったので、規模はそんなに大きくない
で、当日
朝4時半スタート↓
参加賞のTシャツを使いました↓
コースは、幹線道路を1ー2車線ふさぐ形で
ほぼ直線を行って帰って来る
道中ハノイらしい観光名所はなんもない
幹線道路なので、早朝のトラック、観光バス、バイク、などなど仕事関係の車両がビュンビュン走る
排気ガスもすごいし
ただでさえ大気汚染がひどいのに
変更前のコースは市中をめぐるものだったのでまだ少しはハノイらしさが味わえるものだったのだが
でも、生活に影響するからって変更された
こんな手製の応援が3-4か所↓
給水は3-5キロごとにあった
が、どうせ混乱するだろう、十分水がなかったり、そもそも予定の場所にない、ってこともあるだろうから、私はボトルをもって走った
結局、一回、ボトルに水補給するために立ち寄った
結果として水は足りていた
スイカ、バナナも置いてあったが、不衛生なので取らない
折り返しから、復路を進む 大気汚染がひどい マスクなしでは無理↓
マスクで走っている人はほとんどいなかった
でも思わずシャツやバフで口を塞ぎながら走っている人もチラホラ
ホントマスクしてきて良かった
不織布じゃなくて上の写真にあるやつ
私は1800位くらいだったので、後ろに400人くらいしかいない位置↓
15Kポスト↓
道路上にやっぱネズミとか、その他のどうぶつの死骸とかが、もう何カ所もあって・・・
やっぱベトナムだよな
写真には写ってないと思いますが・・・はい
ゴール地点にMy Dinh国立競技場のトラックの直線が解放された↓
これはかなり貴重だ ここだけよかった スモッグがひどいな
結局2時間半くらいかけて21Kゆるジョグして帰ってきたが
久々にふくらはぎに乳酸がたまるような感覚を覚えた
記録を見ると、日本人は5人くらい21Kには参加していたようです
エリートランナーとすれ違ったり、フルのトップランナーに追い抜かれたりするなかで
間近にいい走りを観察出来てよかったです
靴は今回の21Kでほぼ履きつぶしたので、Black Fridayセールで2足買って、心も新たに
12月のランをやっていくぞっと↓
下はAdizero Japan、日本以外ではAdizero Adiosだね