2月一時帰国の記録 | 公園ぐるぐる+トレッドミル

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2017年からハノイ駐在
ランはただいま出直し中

 

今年のテトは、私だけ帰国して、両親の世話とか終活のサポート

 

↑ノイバイ

 

↓いろいろ考える時期になってまいりました

遺体を自家用車で搬送したり、遺骨を自宅保管することは法的に問題ないとか
粉末状にしてしまえば骨の処分はわりと制限が少ないとか
お墓に入るということ、永代供養とはどういうことか、
死んでから火葬・納骨までの流れ、準備しておくこと、僧侶に払うお金の相場などなど
親のことなんだが、自分が死んだときにどうしてもらいたいか、なんていうことも考える
 
遺灰から炭素を抽出して人工ダイヤにするっていうのもあるのか…って妻や娘に話したら、
そんなんいらん、その金で(生きているうちに)ダイヤ買っておけ、っていわれた
 

 

↓6回目コロナワクチン接種(名古屋にて)

 

 

↓レトロな喫茶店チロル(名古屋駅前)

 

↓モーニングセット

 

↓タカシマヤで和菓子購入

 

ベトナムに持って帰りますよ 

日本はこういうところ天国

 
 

終活サポートとして

↓実家のゴミをまとめて、クリーンセンターに持ち込む

少しずついろんなものを処分していく

年取ると何個も同じもの買ったり、ゴミ捨てがままならなくなったりで、たまっていくようで

とくに植木鉢が45Lの袋で、20袋以上となり、処分

これで持ち込み処分の勝手がわかった

粗大ごみの戸宅回収より効率的

次回は軽トラにいろいろ乗っけて処分を加速させていく

 

 

両親を特養に迎えに行き、月例のお医者さんへ検診に連れていく

 

親父は毎回車窓から見える風景に、まるで初めて見るようなかんじで、同じことを言うようになった

特養生活もかれこれ9か月ほど経過して帰宅願望はかなり薄れてきたようだが…

竹馬の友との飲み会要求もなくなって、逆に水を向けたら「会っても同じことばかり話すだけだからもう会いたくない」、

などという

しかし発言の全ては文字通りは受け取れない

 

母親は、いつも金の心配ばかりしている

いくらかおろしてこいとか、通帳印鑑を持ってこいとか、銀行に連れて行けとか

母親はまだ実家に帰りたいって、わりとまだはっきりと口にするが

介護支援なしでは生活はできないと説明するとほどなくあきらめるようにはなってきた

いつも閉口するのは、いつまでたってもこっちが小中学生かのようなあつかいをすること

「風呂からあがった後、裸で走り回っちゃいかんよ」とか…それも病院のロビーで…

ま、ろくなことしゃべらないので、友達が一人もいないっていうのも、当然かなと思う

 

こうした両親の世話に加えて、今回は親族の法律相談にもつきあった

私が弁護士を予約しといて、一緒に話の整理に行った

弁護士とはこれまでにも数多く仕事をしてきたが、ホント、社会性に乏しい人に遭遇する率がとても高い

今回の弁護士もなんかヤな予感がしたがそんなひとだった

多くのことを暗記して詰め込んだことで尽きてしまうのか、自分を社会の役に立てていく、ということを深く考えない感じになってしまうのかな

今回のひとも、一方的に話して、こちらの事情を勝手に規定し、自己完結しちゃった

口挟む余地なし

過払いバブルでようやく金儲けの機会を得た弁護士も多いようだが、きっと横領する人も多いだろうなんておもっていたら、やっぱりね、ということで、全く違和感なしの、想定内

 

 

↓帰国すると免税店で色々買う

昨年夏あたりから、風邪薬は一人一個といわれるようになり、それはまだ続いている

 

トローチ、せきたんシロップ、ルルのうち、ルルだけ買って、他はレジで放棄

 

↓ドンキでも毎回大量に免税買いするが、最近のドンキの食品売り場は、プライベートブランドが幅をきかせていて

結果、品ぞろえが悪くなった印象です

免税対応は、チャイナの方々の爆買いがおさまったこと、
昨年4月ごろから事務処理方法が変わったことなどがあって、
店員が慣れないのと、新しい端末の操作性がiPhone4なみに悪くって、だいたいレジが滞留してしまいます

 

 

↓地元の喫茶店でランチ

同級生がやっていたお店

ノスタルジーに浸ってみる

次行ったら店員に声かけて話してみようかな、昔話ができるかもしれない

 

 

↓郡上八幡へ

 

 

 

からの、めいほうスキー場へ↓

 

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↑70キロかなたの北アルプスを望むが、山頂が隠れていてよくわからなかった

 

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↑全レンタルで、4-5本すべってあがる

日本人率高し〇

そんなに広くはない

飲食がとっても充実

レンタルコーナーは導線わるし、かなりの混雑 補助員の配置がほしいところ

GALAみたいにロッカーが充実してない

ふもとから山頂まで直通がない

雪質はあまりよくなかった

やっぱ自前のギア、ウエアでスキーはやりたいよね

 

帰り際に、一本200kcalは下らないとおもわれる、めいほうハムのフランクフルトを食べてみる

むちゃうまい

 

その後…

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↑明宝温泉につかって、飛騨牛ランチ

今回の一時帰国で最もまともな食事ができた

 

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↑明宝から下呂に移動(下呂温泉北口付近 飛騨川に高山本線の鉄橋)

飛騨地方の静かな雰囲気がいいです

 

親父の実家が下呂なので、そこにいる、いとこのところにいって

近況報告やら、菩提寺との関係やら、いろいろおなはし

大変だった介護のお話なども伺うにつけ、日本ではそこらじゅうでいま、老人介護が展開されていて

それに対するノウハウ、ビジネス知見が蓄積される一方、いざこざ、事件なども起き、

国全体としてみたら、そりゃ財務省も悪いのかもしれんけど、

なかなか苦しい停滞時期を経験すべくして、しているんだなぁと再認識する

 

 

日本民族はこの問題、危機に対して独特の感性で対処しつつあり、いま目の当たりにしていますね

何がよりよいか、そもそもはっきりしないし、社会的合意も形成しにくいデジタル社会で、多少の振幅があるのはやむをえないなか、かなりの横ばい力を発揮していると俯瞰できる

忍耐なのか、Mなのか… 慎重に見極めたい、っていうDNAが発動しているんかな

 

菩提寺の和尚さんとは時間がなくて会えなかったので、

ハノイに戻ってきてから電話で話してみた

親父が亡くなったら、下呂から愛知まで出張するって、なるほどね

請求額は40万円ほど、とのことだった

和尚さんも相当お歳ですけどねぇ

終活は残されるほうの準備も必要だ

 

 

↓帰りの恵那峡SAで、五平餅やらいろいろ食べてみる

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笠置山

 

 

↓東岡崎駅前に帰着 やっと岡ビルは建て替える ようです

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セントレアからもどる

搭乗ゲートで、呼び止められ、チェックインバゲージに入れたDesolvit(台所洗剤)がなんか問題のようで

成分表を入念にチェックしていた

確かに可燃性で、火気厳禁のようではあるが…大丈夫でした

 

 

↓ハノイに戻ってきて

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↓ロッテホテルのアフタヌーンティー(見た目だけで、うまくはない)

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ホテルチェックイン時には、カウンターに横から入ってくる

モールでは子供が走りまくる

もうかなり慣れたが、こんなベトナム人がとにかくうざいので、距離を取る

 

 

↓テト明け初日は、お年玉(Lì xì)配り

日本からバッカス買っていき、併せて配る

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日々街の姿が変わっていく、老人があまりいないベトナムはニッポンとは対照的