12月は6回走って、31.25キロに終わった。
年明けて、2日から約30年ぶりにタイにいってきた。
ハノイから2時間ほどの天国。
ベトナムとの落差に愕然とする。
いかに日々不便な生活を強いられていることか。
1994年ごろの一人当たりGDPは日本34054ドル、タイ9401ドルだった。
約30年経ってそれは、40784、+20%、17077、+82%となった。
ベトナムは2624→10628、+405%。
30年ほど前、大学のボランティアで3回タイを訪問していた。
そのころはエラワンにあるそごう(アマリンプラザ)が輝いていた。
その近くのホテル(おそらくグランドハイアット)で食べたトムヤムクンがうまかったという記憶。
今はイタリアンレストランになっているところ、ではないかと。
まさか、あれから30年も経ってしまうとは。
旧そごう周辺↓
まだ持っている30年前の紙幣↓
為替は1995年3月、1バーツ=3.5円、2.5円程度の円高時期を経て、いま、4.2円。↑
セントラルワールドのディンタイフォンがうまかった。↓
ホテル内のルーフトップバーなどにいってみる。↓
ワットプラケオなどの寺院巡り。↓
(1782年、ラーマ1世がチャクリー王朝を開いた際、護国寺として建立。
特権集団サンガの腐敗に対し、王様と私、のラーマ4世が仏教改革を行う。
ラーマ4世は1854年、清への朝貢を止め、トンブリー王朝(1767ー82年)以来の冊封体制から離脱。)
特に鮮明に記憶している、ワットポーの涅槃仏↑
(1788年、ラマ1世によって建立。
涅槃仏は19世紀初頭にラマ3世によって作られた。)
ちょっと変わった、ワットパークナム↑
(アユタヤ時代1351~1767年に創設。
タイ僧侶統制とタイ僧侶のパーリー語教育の中心。
坐禅・瞑想理論で近年有名に。2021年に69mの黄金のブロンズ仏像が完成。)
境内にガイドブックや、ミニチュアを販売するようなお土産物屋を期待するが、そうしたものはほとんどない。
シャングリラのアフタヌーンティー↑
トンロー周辺で夕食など↓
もち米とマンゴー↑(カオニャオ・マムアン)。
ルンピニ公園をジョグ↓
托鉢の僧に、朝食を渡す市民の姿も。
上座部仏教では、出家して悟りを開いた者だけが救われる。
輪廻転生で、徳を積まなければ良い来世はない、ということで、僧侶に喜捨を行う。
(ブッダの死後百年で、伝統的・保守的な上座部と、進歩的・革新的な大衆部に分裂。その後、約二十の部派に分裂。
アショーカ王は上座部を保護。前3世紀半ばにスリランカに伝播後、東南アジア一帯に広がった。)
ベトナムは道教が基礎にある感じで、不老長寿とか、神仙思想、占いの類で死生観が規定されているように思える。
近くに友好橋↓1992年竣工。
ちょうど30年前に建築途中だった、うっすらとした記憶・・・
ICONSIAMもちょっとだけのぞいてみた。↓
コロナのせいで、来るのが遅れたタイ、バンコク。
30年前、バンコクから夜行でチェンマイに入り、
パヤップ大学の学生と合同で、カレン族の村に入って、教会を建てたりした。
その頃の仲間はどうしていることか。
重労働をもくもくと率先してこなしていたチームリーダー
照れ屋で、へりくだった感じのタイの仲間たち
料理がうまい引率の先生
お土産のキャンドルに喜んでいたステイ先のカレン族のお母さん
高床式住居にステイ
いたずら好きの村の子供達
アイス売りの行商人
早朝に赤土を巻き上げて移動する水牛の群れ
カメラを川に落として半分水につかりながらなんとかとりもどしたこと
車酔いや、下痢と戦い、親切な看病を受けたこと
トゥクトゥクと渋滞の排気ガスのにおい
トラックに山積みで運ばれていく仏像
はじめて食ったパクチー
間違えて食った激辛グリーンペッパー
唐辛子とザラメをまぜる屋台飯
仲間の学生の自宅で食べた揚げドーナツの朝食
水しか出ないシャワー
ヤモリと一緒に寝たこと
虫刺されに悩まされてキンカンが大人気だったこと
いろんな、いざこざ、楽しい出し物
高級ホテルの前で物乞いをする親子の姿とガラス1枚向こうで歌う優雅なジャズシンガー
空港に見送りに来てくれた仲間たちの後ろ姿
・・・
20代の自分と、これらがこの場にあったのだなぁと。