Die MUSIK | TM@catfightのブログ

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LiveDoorブログで、女子プロレスとプロスタイルキャットファイトのレビューブログを書くに至った経緯や、思い出話などをこちらに書いています。


今日は、女子プロレスやキャットファイトの話ではありませんので、忙しい方は読み飛ばしてください。(笑
 

私の音楽の嗜好は多種多様ですが、基本好きなのはヘビーメタルです。
プロレスの入場テーマ曲にヘビメタが多いので、「ああ、あの曲か。」と思うことはありますが、だからと言って、私のヘビメタ好きとプロレスは全く関係ありません。
意外にも私は、大学生の頃までは、ヘビメタやハードロックは、騒音に過ぎないと思っていたのです。
それが何故、何時から等と訝れる方もおられるやも知れません。

私の大好きなバンドと曲は、

Judas Preast:Turbo、Ram it Down, You've Got Another Thing Comin', Heading Out To The Highway
Scorpions: Rythm Of Love, The Zoo,I Can't explain, Duce Big City Night
AC/DC: I was made for lovin' you、Rock And Roll All Nite, Dettoiy Rock City, Christine Sixteen.
KISS: Back in Black, Hells Bells, Black Ice, Rocking All The Way.
Rammstein: Sehensucht, Wollt Ihr Das Bett in Flammen Sehen, Der Meister, Tier、Feuer frei!

英1、米1、独2、豪1ですね。(笑
メタル好きでラムシュタインをご存じない方は、是非お勧めです。
これを聴くとヘビメタとドイツ語が素晴らしい取り合わせだと言うことが分かります。
最後の曲は、ヴィン・ディーゼルの映画「トリプルX」にも出てきたので、覚えておられる方も。
とは言っても、メンバーの名前や曲やアルバムの名前を憶えている程入れ込んでいる訳ではありません。

中学3年の頃に転校して、塾に通ったのですが、双子の美人姉妹と友達になり、その妹と付き合っていたのが、そこそこ名の知れた子役俳優でした。
私は彼とも親友になり、麻雀をやったりギターを教えてもらったりしていました。
彼の好きなアーチストは、吉田拓郎と井上陽水でした。
つまりその当時は、私もフォークソングの弾き語りが好きだったわけですね。

当時のフォーク系のヒット曲は懐かしく思います。
しかし私は、特に入れ込んだアーチストも不在のまま十代を終えてしまいました。

それにしても、基本的に音楽が好きな私が、中学2年生の時に、音楽の授業でベートホーヴェンの第9をドイツ語で歌うためにドイツ語の発音を習ったことは、後に大きな影響を与えたことは間違いありません。私はその後、暇つぶしにドイツ語を独習していたものです。
大学生になり、ドイツ語の学校で本格的にドイツ語を学んだ私の、最初の教師が、音楽の都ウィーンから来たハンガリー系オーストリア人でした。

若くて美人、ハンガリー系には珍しいブロンドの彼女の影響で、ヨハン・シュトラウスのウィンナーワルツ等に興味を覚え、さらにベートホーヴェン、シューベルト、モーツアルト等を聞くようになりました。

彼女の後輩のヴィーン娘も紹介され、良くデートしたのもこの頃です。
NHKの名曲アルバムは大好きな番組でしたので、そこからヴァーグナー、ブラームス、バッハ、リヒャルト・シュトラウウス等のドイツ系ばかりではなく、リストやショパン、ビバルディ等のクラシックの巨匠の曲を好んで聞くようになったのです。
当然シューベルト等のドイツリートも歌えるようになりました。
勿論、クラシックのみではなく、積極的に現代ドイツ語のポップスを探して聞くようになったのですが、当時は、ペドロ・アンド・カプリシャスがヒットさせた、「別れの朝」の原曲、ウド・ユルゲンス(Udo Jürgens)の、「夕映えの二人」"Was ich dir sagen will" 位しか入手出来ませんでした。因みに原曲の歌詞は、「僕が君に伝えたいことは、私のピアノが語っている。」と言う意味なので、日本語の歌詞とは全く異なります。

クラシックやポップスのみならず、ドイツ語とその文化全般に興味を覚えた私は、ドイツ語の歌に貪欲になり、何と軍歌まで聴くようになってしまい、バルジ大作戦のテーマ曲であるパンツァーリート(Panzer Lied)を空で歌えるようになってしまいました。(笑) ついでに、映画「テレマークの要塞」に出てきたEnglandliied、「青島要塞爆撃命令」でドイツ兵が歌っていたEin Heller und ein Batzen や映画リリーマルレーンに出てきたO du schöner Westerwaldまで口ずさめるとは、どこまでもフリークな男でしょうか。(笑)
社会人になってカラオケ行ってもドイツ語でリリーマルレーンを歌っておりました。(笑)

さて、卒業旅行で訪れたウィーンでは、楽友協会(Wiener Musikverein)でカルロス・クライバー(Carlos Kleiber)が初めてウィンーフィルを指揮したその日にベートベン第7等を聴きました。
その時にはバンベルクの曲も演奏して、ゲストにヴィーン少年合唱団が歌っていた記憶があります。
そして、その夜は国立オペラ座(Wiener Staatsoper)にも行って、立ち見でアッチラなどを鑑賞しました。
ウィーンの音楽生が、Bravo!と叫んでいるのを隣で聞いて、ブラボーとはこのように大声で叫ぶものだと初めて知りました。


実は、ウィーンに行く前にフランクフルト郊外のドイツ人の友人宅に泊まったのですが、彼らの誘いでハードロックのライブに行きました。
私にとっては、正直言って苦痛のひと時でした。(苦笑)
その時に、フランクフルト駅前でカセットテープを買いましたが、そこに入っていた曲はWoman in Loveのドイツ語版や、Der Kommisarという曲でした。
このデア・コミッサールは、カバーバージョンでしたが、ほどなくアメリカでAfter the fireが英語で歌ってヒットさせていました。
その後、新宿のTower RecordでこのDer Komissarのオリジナル版を見つけたときは、「ヤッター!」と思ったものです。
そのアーチストはFalcoと言うオーストリア人です。

Alles klar, Herr Komissar? 彼のヴィーン訛りのドイツ語は、実に心地よい響きですが、何故だかはお分かりになると思います。(笑)
そして次に、Nenaというバンドが、99 Luftbaloonをヒットさせたので、アルバムを買い、さらにガールフレンドとコンサートにも行きました。
そして、Falcoが、Rock me Amadeusを全米でヒットさせたときは狂喜乱舞。当然彼の日本公演も見に行きました。
ドイツ語のロックやラップが、世界的な市民権を得始めた80年代の出来事です。
Best Hit USAの時代なので、80年代POPSは、良く聞きましたね。Michel Jackson, Duran Duran、Pet Shop Boys等々友&愛で借りてテープにダビングしたものでした。
そこで少しロック系の音楽に抵抗感がなくなった頃に、会社に19歳の事務員が入って来ました。
彼女はヘビメタ好きで、目黒の鹿鳴館に通っていたとのことです。
彼女とも少し親しくなった私は、その影響でメタルにも興味を覚えてしまいました。
私が最初に聞いたのは、Van HalenやBon JoviのLAメタルです。
それから、White Snake, Docken Motory crueなど、当時の有名なヘビメタ・ハードロックバンドは片っ端から聞いていました。
ハードロックでも、段々激しいヘビメタに傾倒して来た私でしたが、その中で浮かび上がって来たのが、上記のJudasやScorpionsだったのです。
通勤中は、発売されたばかりのワイヤレス・ウォークマンでカセットテープからガンガン聞きまくっていました。
初来日のマイケルジャクソンの後楽園球場での講演チケットを12枚買って、サークルの女友達に原価で譲ってあげた時は大モテでした。(笑

10階建で壁が厚い部屋に住んでいたので、サンスイのコンポに100ワットのスピーカーで、部屋の音響もかなり良い環境でした。
さらに愛車のCarina ED G-Ltd.にも10スピーカーサラウンドシステムを装着し、ドライブ中も最高の環境でヘビメタをガンガン聞いていました。


しかし、CDの時代になると、カセットテープでは音質が物足りないが、かさばるディスクマンは持ち歩きたくないと思っていた頃に結婚し、子供も出来てしまっては、最早ヘビメタガンガン生活とはおさらばする他ありませんでした。
そこで、音楽は専らCDを買って、一人で車に乗る時しかヘビメタは聞けなくなってしまったのです。
HDDのWalkmanにも興味を示せず、通勤中にも音楽を聴かなくなってしまった私は、音楽に関しては、かなりトーンダウンした生活が続きました。

その状況を変えてくれたのがiPhoneです。
電話機兼、インターネットブラウザー兼、携帯音楽プレイヤーのスマートフォンを手にしてから、私の音楽熱が復活しました。
なんせ、あんな薄いデバイスに何千曲も取り込めるなら、飽きることがありません。
さらにFMトランスミッターで車の中でも聞けるようになってからは、友&愛に代わってTSUTAYAからCDを借り、私の聴く曲は益々増えてきたのです。
数年前にバイトで出張マッサージのドライバーをしていたころ、女の子達に私の車は、”冷房も効いて涼しいし、音楽も色々なジャンルの趣味の良い曲が聴ける。”と大好評でした。
そしてYoutubeでは、世界中のアーチストの映像が見られるので、そこからダウンロードしてMP3に取り込む方法を知ってからは、古今東西の色々なジャンルを聴くことが出来るようになりましたそこで知ったのがRamsteinです。
CDではなく、ロシア製のデータディスクを通販で買った私は、古典的なヘビメタサウンドにドスの効いたドイツ語の歌が流れる彼らの曲は、暫くの間は毎日聴いても飽きることがありませんでした。
私の音楽好きは、娘にも影響し、彼女はギターやドラム、キーボードまでこなし、アマチュアバンド活動までするようになりました。
娘に初めてエレキギターを買ってやった時に、未だ指が覚えていたベンチャーズやDeep Pupleやサンタナのフレーズを聴かせてやったものです。
それにしても、カラオケでKISSの、"I was made for lovin' you"を娘と合唱する日が来るとは思いもよりませんでした。(笑

AC/DCの久々のアルバムも娘に言われて購入し、改めて好きになりました。

私のギターは人には聴かせられませんが、歌にはかなり自信があります。
実は従兄弟には邦楽の世界で名を馳せている有名人もおりますので、やはり私と娘の血には、先祖代々から伝わる音楽の才が流れているということでしょうか。(笑

クラシックも含め、独、米、英、露の軍歌や行進曲やら、昔聴いた幻の曲も検索してはダウンロードしている私が、最近はまったのが、Deutsch Musikで検索したドイツ語のポップスやロックです。
日本国内では洋楽と言えば99%英語なので、Youtubeの存在は本当にありがたいことですが、特にノンストップ・リミックスのディスコサウンドは最高です。
数年前のドイツ語のポップスは小室サウンドの影響を強く受けていることも発見しました。
最近は、BlueToorhのイヤフォンも購入して、周囲の客の騒音やおせっかいな車掌のアナウンスからの自衛と言う意味も兼ね、通勤中は、ありとあらゆる曲を聴いております。

そう言えば、2002年にアナハイムのディズニーリゾートに行ったときに、イベントで日本人が和太鼓を披露していました。
その後、ディズニー映画の パールハーバー「Pearl Harbour」でも和太鼓が登場し、更にリメイク版のバトルスター・ギャラクティカ「Battlestar Galactica」でサイロンが襲撃して来る時に和太鼓が流れていましたが、その頃から和太鼓の魅力がアメリカ人に理解されていたのでしょうね。
ギャラクティカと似たような和太鼓のリズムは、Battle World Prowrestlingのテーマにもなっているので、一種の逆輸入でしょうか。
この曲を選曲したスタッフさんには拍手を送りたいです。
昼間は幾ら暇でも、キャットファイト作品のレビューやキャプチャー入りで紹介する記事を書く訳には行かず、こんなよもやま話でお茶を濁して済みません。