2020年になり、私のメーカー設立の話がいよいよ始まりました。
昨年5月にグループ撮影会の共同主催者になった私は、クラファンで資金を集めてスタジオでの技ポーズを撮影したのですが、その時に初めて自分で新村かりさんをオファーして被写体になっていただきました。
撮影後にシーシャバーで彼女の隣で3時間も会話を楽しむことが出来たのは大変良い思い出になりました。
その翌月に、アメリカのジョージア州アトランタにあるキャットファイトメーカーのDangerous Curvesのオーナーが来日して日本のキャットファイトメーカーやタレント事務所を訪問することになっていました。
そこで私が案内及び通訳を務めることになり、彼を連れてレンタルスペースでミーティングを行ったり事務所を訪問したりしたのです。
結果、日本の各メーカーは、撮影協力はしてもコラボレーションまでは望まないとう結論に達しました。
そこで何と、私がメーカー立ち上げたらどうかという話になってしまったのです。
以前から作品撮影のカメラクルーとして各社のプロレス。キャットファイト作品の撮影に参画していた私は、かなり撮影ノウハウを得たものの、まだ監督として独り立ちする知識も経験も不足していることは明らかです。
しかし、その後も各メーカーの撮影現場にカメラクルーとして参加していた私は、9月に再びヒロインプロレスの撮影会の共同主催者となり、クラウドファンディングで資金を集めて非売品の同人作品を制作することになったのです。
そして同時に、今度はカナダのメーカーからキャスティングとカメラマン、およびプロレス部分の撮影監督を頼まれてしまいました。無論私がキャスティングをするからには、新村あかりさん以外の選択肢はありません。
そこで撮影したのが、METOMIGAKUENアーツのハウスメントバトルとプロレス作品でした。
これらの作品は間もなくリリースされる筈です。
そんなことがあった私は、翌年の4月に控えた日米韓のコラボレーションをどう切り回して行くか検討中でしたが。何と今度はTwitterで知り合ったワシントン州在住のアメリカ人から、新村あかり選手がフルボッコドミネーションされるカスタムマッチを作成したいと申し出がありました。
そしてこの企画も各メーカーに打診したのですが、結局これもまた私がプロデューサーとして仕切る羽目になってしまいました。
こうして運命の歯車は、私のメーカー設立のために回り出しました。
これは果たして、偶然ではなく“摂理”、“宿命”、“Providence”、運命(さだめ)なのかも知れません。
幸いにもInfinty-Xの協力も得られた私は、それから撮影のためのキャスティングや会場の手配、撮影用衣装や小道具の購入に大わらわとなりました。
新村さんの対戦相手も中々決まらずにヤキモキしたのですが、
結局撮影は遅れに遅れ、3月6日にずれ込んだのですが、何分初めての監督だけに、様々な不備やら不測の事態が起こり、当初思っていたシナリオ通りには行きませんでしたが、何とか撮影を終えることが出来ました。
しかし、翌月には日米韓コラボレーション撮影も控えていた私は、撮影した動画の編集にタッチすることが出来ず、個人の外注に頼みました。
ところが、進捗状態の報告も質問もなく、2週間後に預かった動画ファイルをなくしてしまったと言われて再送したのですが、それからは進捗状況を尋ねてもなしのつぶてで、結局5月に入ってからその編集者を切り捨てざるを得ない事態となってしまいまし以前から作品撮影のカメラクルーとして各社のプロレス。キャットファイト作品の撮影に参画していた私は、かなり撮影ノウハウを得たものの、まだ監督として独り立ちする知識も経験も不足していることは明らかです。
しかし、その後も各メーカーの撮影現場にカメラクルーとして参加していた私は、9月に再びヒロインプロレスの撮影会の共同主催者となり、クラウドファンディングで資金を集めて非売品の同人作品を制作することになったのです。
そして同時に、今度はカナダのメーカーからキャスティングとカメラマン、およびプロレス部分の撮影監督を頼まれてしまいました。無論私がキャスティングをするからには、新村あかりさん以外の選択肢はありません。
そこで撮影したのが、METOMIGAKUENアーツのハウスメントバトルとプロレス作品でした。
これらの作品は間もなくリリースされる筈です。
そんなことがあった私は、翌年の4月に控えた日米韓のコラボレーションをどう切り回して行くか検討中でしたが。何と今度はTwitterで知り合ったワシントン州在住のアメリカ人から、新村あかり選手がフルボッコドミネーションされるカスタムマッチを作成したいと申し出がありました。
そしてこの企画も各メーカーに打診したのですが、結局これもまた私がプロデューサーとして仕切る羽目になってしまいました。
こうして運命の歯車は、私のメーカー設立のために回り出しました。
これは果たして、偶然ではなく“摂理”、“宿命”、“Providence”、運命(さだめ)なのかも知れません。
こうしてメーカー設立へのおぜん立ては整いました。