映画「おまえうまそうだな」を小3の息子と観にいった。

http://www.umasoudana.com/

有名な絵本が原作らしいのですが、

おまえうまそうだな (絵本の時間)/宮西 達也
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なかなかよいお話でした。

もう、いい年齢なので、涙腺がゆるくなっていて、

おもわずほろりとしてしまいました。

人間は(人間じゃないけど・・・)育った環境が

やっぱりとても大事なのだなと思います。


一般論ですが、

実の親に愛されずに育てられるなら、

愛してくれる他人に育てられるのも

決して悪くないと思います。

そっちが絶対いいかはわからないけど・・・


もし、よければ、親子で観てください。







書きたいことが、いろいろあるのだけれど、

なかなか、書く暇がなくて、

すごいタイミングをはずしていると感じながら、

あえて、タイトルの件について書いてみます。


ツイッターでも少々つぶやきましたが、

「政官攻防史」↓的な観点から見ると

政官攻防史 (文春新書)/金子 仁洋
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明らかに、今回の民主党代表選挙は、

「官」の勝利ナわけです。


一説によれば、小沢氏は、「自らの疑惑を不問に付す為」に

代表の座、ひいては首相の座を目指した

旨の論調がありましたが、

まあ、そういった意図があったかどうかはわかりませんが、

迎え撃つ検察側にとってみれば、

「政治主導」「行政改革」の御旗のもとに

「特捜部解体」が行われるのではないかという

恐れを感じていたかもしれません。

それは、今般の「村木事件」を抱えていた事情もあると思います。


ツイッターでもつぶやきましたし、

多くの識者も指摘するように、

起訴機能と捜査機能の間には、実は

健全な緊張関係があるべきであって、

検察がもし捜査機能を持つとしたら、

案件の起訴にあたって、補足ないしは反証するための

最小限であるべきではないかと思います。


しかし、いつぞやから検察は「正義の実現者」的な

自意識(国民的期待がそうさせたのかもしれませんが)

が肥大化して、今般のような事態に至ったのではないかと思います。

とはいえ、これまでもおそらく似たようなこと(事件のでっち上げ的な

こと)はあったでしょうし、きわめて政治的に捜査、起訴機能を

利用してきたことは、まさに「官」の意思の実行者

であるとういう自意識の方が勝っていたからかもしれません。


そのような、組織にとってはやはり小沢一郎は危険人物であったでしょう。

今回の「村木事件」で検察が、どのような落とし前をつけるか、

その行く末をしっかり見ておく必要があると思います。


また、ネット上では、この選挙戦について、

大手マスコミの偏向的な報道が、取りざたされていましたが、

上杉隆さんの指摘に勝るものはないと思います。

既得権者の利害が合致したのでしょう。

小沢系ということで原口総務大臣が外れたのも、

大いに利害に一致するところだったはずです。

この先、「電波オークション」が実現するかどうか、

ひとつの視座になるのではないかと思います。


あと、いまの中国との関係の問題。

これも、小沢代表が実現したら、何がどうなっていたか?

この事態そのものが起こっていたかどうかも

含めて想像を膨らませると面白いかもしれません。

これも、いろいろ書きたいですが、また次の機会にまわします。


陰謀史観で現象を読み解くのは、あまりよいことではないことは

商売柄わかっているつもりです。

もちろん、菅氏より小沢氏のほうが「代表にふさわしい」

などというつもりで書いているわけでもありません。

とても、難しい選択であったことは、違いないと思います。


ただ、こういった難しい選択の結果、国民に政治不信が蔓延して、

結果、「役人機構が一人勝ち」というのは、あまりよろしい結果ではないと思うので、

できれば、私たち有権者は、「絶望せず」に常に、

ベターな選択を心がけたいものです。




子ども手当てを満額支給すると、それにかかる予算が、

防衛予算を上回る額になることから

このような言い回しが使われています。

大手新聞の論説の中にもこのような言い回しが

出ています。

この言い回しの意味するところは、

ただのバラマキである子ども手当ての予算額が、

よりによって国家を守る大事な防衛予算を上回るなど

愚かの極みであるという意味がこめられています。

だけど、そうでしょうか?

別に青臭いことを言うつもりもありませんが、

お金をかけなくても「平和を維持しできている」ということ

であれば、防衛予算などは、少なければ少ないほど良い

のではないでしょうか?むしろ、いかに少なくするかの努力が

問われるべきではないでしょうか?

そのためには、周辺諸国との信頼関係の醸成や人的交流

などに力を注ぐ必要があります。

そして、子ども手当てが「将来を担う子どもにかける予算」

という意味で広義に捉えた場合、できるだけ多くの予算をそこに

割くことは、とても大事なことではないでしょうか?

いまの子ども手当てが、バラマキ的であるという批判は、

確かに一理あると思います。

十分検証、検討されるべきだと思います。しかし、

「経済効果」があるとか、ないとかのレベルで、

批判するのであれば、それは、まさに亡国的であるように

思います。つまり、将来を担う子どもを国家としてどのように

育もうかというところに、「いま、どれだけ経済効果があるか?」

という物差しを持ってくるわけですから、ちょっと見当違いな気がします。

つまり、

もうちょっとモノを考えてから言葉を使うようにしたほうが

良いのではないかと思うのです。

ついつい慣用句的に使う言葉が、

実は、物事の核心をオブラートに包み隠してしまっていることが

多くあるように思うからです。

では、では