1986年4月8日、アイドル歌手の岡田有希子さんが、

四谷四丁目の交差点角にあったサンミュージックの

屋上から投身自殺した日。

僕は、某局の昼のワイドショーのADとして

初めてスタジオに入っていた。まさに業界初日。

一報が入ってきたのが、本番の終わる直前、

男性アナウンサーが、興奮しながら原稿を

繰り返し読み上げる様子が、記憶に残っています。

思い返せば、すでに四半世紀前の話。


それ以来テレビの世界にいるわけだと思うと、

機も遠くなる。


で、衝撃的な業界初日から20日ほど経たずに、

歴史的な事件に見舞われる。


4月29日 チェルノブイリ原子力発電所事故。

(発生は4月26日)

泊り当番で、翌日の進行表の発注も終わり

デスクで仮眠をしているところ、明け方に

共同通信の速報が流れてたたき起こされたと記憶している。

(日時はあいまい、記憶は不確かだが・・・)


ビッグニュースだが、番組は昼のワイドショーということもあり、

また外信ものということもあって、できることは限られていて、

そんなに大忙しになったという記憶はない。


しかし、世間は、この事故をきっかけに

一大「反原発」ムーブメントが巻き起こる。

広瀬隆氏の著書「東京に原発を(改訂版)」や「危険な話」が、

ベストセラーになったり

1988年にはRCサクセションの「COVERS」の発売中止騒動

などが、起こった。


そして、同年秋ADとして参加していた「朝まで生テレビ」で

徹底討論「原発」が放送されるに至った。

振り返ると、ここらあたりで、反原発ムードは最高潮に達した感がする。



と、時系列に書いてきたが、

あれ、この話どこ行くのかな?書こうと思っていたところへなかなか

たどり着かない。続きはまたあした



Beフラット/中村安希
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ちょっと前に呼んだ。

本来なら、3月末ぐらいに出る予定だったものが

震災の影響で、5月末?まで延びたという話をラジオで聞いた。

インパラの朝の著者の新作。

帯に、「荒れ野へ。裸足で一歩を踏み出そう」

とある。

プロローグに、食い尽くされた後の果樹園の例えで、

自らの世代の置かれた立位置を表現している著者。


まさに、祭りの後、遅れた来た世代に残されたものは、

使い物にならないおんぼろ舟とツケばかりといった

ところか。


そんな世代のブレイクスルーを求めて、

若手政治家にインタビューを重ね、この本は出来上がっている。


実名で出てくる政治かもいれば、名前を伏せて登場する者もいる。

その言動から希望を垣間見せてくれる政治家もいれば、

なんだかなあという政治家もいる。


当然。


若いから希望が持てるとか、若いからダメだとか、

そんな、安易な、話ではない。


常に自分の尺度で、「自分の答え」を求めて歩く。


その作業が、

最後は、自分を一個の人格としてきちんと受け止めてくれる人と

社会に行き着く様に読めた。

それは、とりもなおさず他人を他人として尊重できる自分であるし

社会である。


それが、タイトルの「Beフラット」意味するところかもしれない。


まだ、私たちは属性に縛られている。

属性から解き放たれてアイデンティティを維持することが、

万人に可能なのか?

これも可能性の問題ではなく、意志の問題なのか?


ところで、

今の日本は「荒野」か?

「荒野」であれば、開拓の可能性を秘めているのか?

それとも破壊しつくされた「廃墟」か

どちらに生産の可能性があるのだろう?






A3【エー・スリー】/森 達也
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滝本弁護士らが、抗議しているらしい。

よくわからない。

「A3」は、奇しくも、森氏が、「事件に向き合う」=「事件はなぜ起こったのか」を問う形になっている。

「A」「A2」でなかったことだ。

「A」「A2」は、「なぜこのような事件が起こったのか?」と、問いながらも、実は、そこに

重きは置かれていない。「オウム」という集団?事象?を通して、今の日本社会を映し出してる。

という構造になっていた。

その大前提を基に、今回の「A3」は、

「麻原の死刑判決」の妥当性を世に問いつつ、実は、「なぜ事件が起こったのか?」に

迫っている。それは、「本当に何が起こったのか?知らなくてもいいんですか?」

という問いかけでもある。

キリストのことばを引用しながら、麻原裁判が、天にツバすることになっていると

警告する森氏の主張は、後世において、きちんと評価されると思う。

オウム事件は、近代に対する挑戦であって、

見事に、私たちは、近代を放棄してしまったのかも知れないと思う。