導かれてといっても、何も特別なことはなかったのですが、礼拝に出席するのは午後からとまだあまり熱心とは言えませんでした。ちょうど国分寺ランド(午後はボーリングをしたりして遊んでいた)から国分寺道場(祈りと種から言われたことをする)になる変わりめの時だったので、午後の使い方がいきなり変わり始めたのです。ある日曜日の午後教会にいくと、皆んな会堂の横の小さな部屋も借りていたのですが、そこからお経なような声がし初めてきてそこにいた兄弟に何やってるのと聞いたら、異言で祈ってるんですよ言われたのです。異言、、、、?何それ?聖書に書いてある異言の祈りですよというのです。聞いたことがあるが、、、これが異言で祈ること、、、初めて聞いて恐ろしくなって教会から家に帰ってしまったのです。でも家に帰って冷静になると異言で祈れるなら自分も祈ってみたいと思うようになったのです。その週に会社の帰りにクリスチャンのブックセンターにより、獄中からの賛美と朝の9時というカリスマの本を買ったのです。それを読むと自然と心に平安がきて、自分も祈ってみたいという気持ちになったのです。その後、異言で祈るためにどうしたらいいかと牧師に尋ねると、ああ祈ってあげるよと言われ、手を頭に置いて異言で祈り始めたのです。最初に聞いた印象とは全く違う、なんとも言えない感動がこみ上げてくるのです。そしてその場で自分も異言で祈り始めたのです。なんとも言えない満たしを感じ、世界が全く変わってしまったようでした。しかし、その感動ともう一つなんとも言えない、心の中にいつも闇のようなものを持っているのです。そして大切な時に、その暗闇が表に出てくると人が変わったようになるのです。国分寺にきて初めて、水曜日祈祷会に行ってみようと思い、初めて教会の祈祷会に参加しました。そして牧師宅にいくと、預言者の二人がきていて導かれてきたと言われるのです。そして、今日は特別な日で神様が何かをされると思いますと牧師が言って、自分をさして森田兄弟に御心がありますというのです。そして祈り初めていくうちに預言が与えられ、心で思ったことを預言者が当てるのです。そして、祈りの時間が長くなり、こっちを向いてと言われ目を開けて、牧師の方をみたのです。すると目に向かって臆する霊よされと強い口調でいうのです。預言者の方は霊が出ていったと言われ、確かに今まであった暗闇が全くその日を境になくなっていったのです。

 

 

 

 

性格的には、まだまだ問題があったが、救われたという喜びは、心の中にあった。そのような時、高円寺の北口から坂を歩いている時に、ふっと今まで体験したことのない触れ方をされ、その後、あなたはこれから人間をとるようになると言われたのである。後から、聖書に書かれている箇所をみつけるが、その時は、聖書など持っていないし、そのような御言葉が存在していることさえも知らなかったのである。でも確かに触れられたのである。そして、そんなに行ってなかった教会に行き始めるが、たまたま、礼拝にいくと、ちょうどパウロ牧師が開拓伝道に出られるため按手式をおこなっているところに偶然出くわしたのである。よく分からなかったがただ特別な何かを見せてもらったような感じがした。その後で、こういう大きな教会は自分には合わないので、違う教会に行こうと決めて、祈り始めたのですが、なぜか国分寺の教会に行こうと思ったのです。そこには、パウロ牧師が開拓をやり始めた教会があり、まだ数人の信徒しかいなかった。友達に相談すると祈って決めた方がいいよと言われ、まだその当時は分からなかったが、導きを求めて祈っていたのである。そして、馬橋キリスト教会の新井牧師と話をして、自分が体験したこと、国分寺に行きたいことを告げると、水曜日の祈祷会で証しをしてくれたら、移ってもいいですよと言われたのである。水曜日に祈祷会で証しをし、みなが喜んでくれた、なんとも言えず嬉しかった。そして、日曜日から国分寺の教会にいくのである。

 

感動のジャケット

 

高校の同級生に誘われて教会に足を運ぶことになるが、昔の自分なら誘われても行かなかったと思うが、教会はいいところだという感じがあったし、悪い生活から離れるのにはまたっく違うところに自分をおかないと周りに影響されてすぐ元の生活に戻ってしまうだろうと思っていたのである。礼拝は後ろの方に座り、なるべく当たり障りのない人の近くに座った。牧師の説教はよく分からなかったが、神様に祈ると、神様は聞いてくれて、答えてくださるんですと話し始めたのである。普通なら、何を言っているんだということになるのだが、不思議とそんなことが本当なら自分も神様の声を聞いてみたいと思ったのである。それは祈りのようであったと今は思う。その答えは、その後やってくるのであるが、礼拝では罪と十字架の話をしていたが、どう聞いても、罪と十字架が分からなかった。勉強もしてこなかった人間だから、皆んなとは違うからだと思っていた。それが分からないと真からの解放が受けられないことは知らなかった。その後、教会生活の中に入っていくのであるが、自分にはちょっと気に入らないことや、問題があるとすぐにその場からいなくなるという癖があった、せっかく午後コーヒーでも飲みに行きませんか?と誘われたのであるが、「コーヒーを飲みながら、仕事の話をし始め、進路のことを言い出したのだ、一流企業に目標を持っている者たちの話しは、自分をいじけさせるいい材料だった。用事があるのでとあいつらとは違うと心の中でいいながら、自分はいくつだって道はあるさと思って、また飲みにいくのである。心が硬くなだったのだ。

 

 

 

朝の祈りの時を持つことが段々できるようになってきて、初めは、言葉をいっているだけでしたが、願うとか、叶えられるように、とかいったことも神の前にだんだんとわかってきて、祈りがただ空気に言っていたのが、神格を持った神との交わりになりはじめてきました。その頃に、牧師から、今度礼拝の司会をやってもらえませんかと言われたのです。え、、、司会ですか?どうやるんですかと聞くと、いつもやっているのと同じでいいですよというのです。人前で話したこともないし、なんか試験をやるように難しく感じたのです。次の週から、司会が何をいい、どういう順番で言っているのかまとめ、暗記し始めたのです。でもなかなか覚えられないのです。間違ったらどうしようという恐怖を感じましたが、全部紙に書いてみながら言えばいいんだと紙にプログラムの流れを書いて主の祈りとか献金のこととか、難しいことを特に太書きして用意していったのです。すると、翌週司会が頑張ってねと言われたので、は、は、はい、と答えたのですが、その時、そうそう司会のために5時間は祈ってきてね、と言われたのです!ええ〜5時間、、!どうやって5時間も祈るのか?全然言葉に出てきません。司会ってただ覚えて言うだけかと思いましたが、まさか祈りがあるとは思わなかったのです。今は祈りの重要性、祈りこむことの霊的理解はありますが、当時は子供の子供といったクリスチャンだったので、わかるはずがありません。早速祈りの格好から入り、とにかく5時間机を前にして椅子に座り、神の願いが礼拝で語られ、御心がなるようにとわかることを祈り始めたのです。なんとか5時間座り、礼拝の司会の奉仕にたったのです。とても不思議と言葉が出てきて、流れも祈る前に覚えようとしていたのが、スムーズに出てくるのです。不思議なことでした。それから5時間祈ることが段々できるようになり。教会に集い始めてから、神の働きには祈りがとても大切なんだと言うことがたくさんわかり始めたのです。ここでは簡単に触れますが、祈りこむと言うことは、神の働きにはとても重要なことであるのです

 

 

 

祈りを手帳に書き、なんとか祈りができてきた。祈ってくださいという問いかけにも今までの恐怖みたいなものがなくなり、祈りができるようになっていった、しかし、いつも主とまじわっているといっていた、牧師の言葉が祈る時に思い起こされ、祈りって一体どのくらい祈ればいいのだろうかという素朴な疑問が浮かんできた。祈りができるようになったからといって、30分も40分も祈れるようになったのではなく、ほんの10分か15分の祈りだったのでそれを交わりの時間というのだろうかと自分に言い聞かせてみた。よく牧師が一番愛されている方とは何時間でも一緒に話ができるでしょう。祈りも同じ、私たちを愛してくださった、、、ている方なら何時間でも話すことができるはずだと。、、、これにはびっくりした。何時間でも祈れるというのか?

そんなことできるわけがない。それにその日のスタートに祈ってから始めるのは、大切なことですというのです。それも朝早く起きてと、、、!今度は朝早く起きて、一時間ぐらいは祈らないといけないのか、なんとも厄介なことに巻き込まれたなと思いましたが、否定すれば否定するほど、気持ちは朝早く起きて、最低一時間は祈るということをやらないといけないというところに行き着くのです。もう神がこれをやりなさいと言っているんだきっと、と思い。牧師に朝起きて一時間でも祈れるようになるのにはどうしたらいいですかと聞いたのである。そうすると、朝起きて祈りのカッコをしていれば初めはそれでいいんですよと、、、え〜祈りのカッコをしていればいいんだ!早速次の日からタイマーを入れ朝5時に起き祈りの格好をするだけやりはじめたのです。初めは大変でしたが、一ヶ月ぐらいたつと、不思議と祈れるようになりはじめたのです。気がつくと2時間がたっていました。そこから祈りの答えもみるようになっていったのです。

 

Amazonで買い物する時非常に便利

 

 

祈るということ

 

 

祈りということがいまいち分からない時、よくCLCブックセンターの祈りに関する本を何冊か買ってきては、見るようにしたのですが、こ、こ、ここはなんというのだろうと漢字が多く書かれていて、何て読むのかが分からないのです。よく漢字がわからないと謙遜にと言われていわれるのですが、今まで小学校から、高校、大学に至るまで、漢字に触れたことがなく読むことも意味も分からないのです、結婚してからも、神学校で神学を学ぶ時、漢字がたくさん書かれていて、それを妻に仮名をふってもらい、意味を辞書をひらきながらなんとか読むアレルギーから脱却し始めていきました。しかし、聖書など読めるはずがないと思っていたらよくよくみていると聖書にはルビがふってあり、読めない漢字がないのです。これはいいと思いながら読み始めました。読み進んでいる時に、ある時教会で、祈りは神様との交わりの時で、祈りのなかで語りかけを受けるんです。とメッセージをしていました。その時、聖書に目を通していたら、祈りの箇所がたくさん出ているのです、聖書に書かれていることを祈ればいいか?と思い、書かれていることを祈りにしていきました。求めなさいと書かれっているところに来ると、私も求め続けられますようにと祈り、悔い改めも聖書に書かれていることと反対のことをやっていたらその通りを主に悔い改めるのです。そうして聖書を読みながら毎日祈りの生活に入っていったのです。時間をかけて、読み、平行して教会で皆が祈っていることをメモにとりながら覚え、なんとか祈りの言葉だけは、口から出るようになってきたのです。

中村屋のラーメン!ラーメン通なら、必ず行きたい店である!スープを飲みにきたといっても過言ではないくらいに、スープが美味い、まさに味を求めるなら、中村屋のスープにいきつくだろうぐらいに完成されているのだ!トッピングでせっかくのスープの味が変わってしまうくらいに、具材は考えないといけない、しかし、多くのラーメン屋が、珍しいとばかりに味を損ねる物がラーメンに乗っている!ここはシンプルながら味を本当に楽しめるラーメンである!食べると遠くながらも足をつい運んでしまうくらいに美味い!味で勝負なら、いくつかの有名なラーメン屋も勝てないかもしれない!そんなラーメンである!
新宿にある麺屋武蔵のラーメンだ!開店から行列のできる店として人気を博した!味卵ラーメンはコッテリとアッサリがあり、注文時にどちらにするか言う、スープは醤油ラーメン!1杯目飲むとこれはどこの店でも体験したところがない味なのだ!秘密はレシピにあり、サンマの煮干しが使われているのだ!これはすごい発見だった!色々な食材で勝負するラーメン界にあって、まさに革命の一文字だった!ただ最近では、弟子たちが店をオープンさせ支店もあるのだが、当時より新しいラーメンはいいが、創業当時の味がおちてしまったようだ!残念、昔の武蔵に戻ってほしいが、これも時代の流行りにはぎゃくこうできないだろう!いつのまにか消えてしまうのではないか?心配するところである!