東京経済大学の「ココ」が変だよ -5ページ目
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もの言う株主の時代・・・もの言う同窓生①

大倉商業学校創立9年後の1909年(明治42年)、当東京経済大学の同窓会組織『葵友会(きゆうかい)』は総会を開いて発足した。その後は、卒業生は全員会員となる会則を定めた大正14年1月1日以降、誕生の地である赤坂葵町に基づく『葵友会』として発展する。現在では『東京経済大学葵友会』である。

発足から100年弱、卒業生と母校教職員を合わせた8万4千人の現在の会員数は、到底、メジャー大学には及ばない。葵友会のそもそもの目的である「会員相互の親睦」と「母校の発展に寄与」とは何を意味することだろう。組織が肥大化しても、その存在意義がなければ、既得権益化するに違いない。


もの言う株主の時代-今こそ『もの言う同窓生』として、葵友会の能力を発揮したい。

それは、運営責任者、特に問題のある1990年代後半からの拡大路線による失敗。

文系総合大学という安易な人材獲得政策による、人材の質、偏差値の暴落による政策実行者、トップの見識不足について、在籍現役生徒およぴ現職員には罪はない。当時の最高責任者、実行に加担した教職員の責任を追及と共に、学園再生のために、同窓生である葵友会が「第三の活動期」(創設期、大学昇格と国分寺移転期、そして後進育成の学園再生)であるという認識をもって頂きたい。

問題の先送りにしない覚悟

東京経済大学理事長に今年6月に就任された水野繁理事長の挨拶には

『明治維新、第二次世界大戦の敗戦とわが国は政治・経済・社会全般にわたり、未曾有の大変革に見舞われましたが、現在はそれらに匹敵する変革のときと言われております。これらのとき最も求められるのは人材であります。そしてその人材とは、まさしくわが大学の建学の理念に則った人材に他なりません。』とあります。


建学の精神を理解しておられるご様子ですが、現場責任者として、この「未曾有」の偏差値暴落を招いた前責任者に対して、追及の手を緩めてはならない覚悟が必要です。


現在、大学教育全体の問題点も多くありますが、極めて当大学の入学者の質については、暴落した偏差値と共に、入学者の人材としての質にも、傾向は色濃く反映しているものと感じています。

今後、人材の質が、偏差値を押し上げるような政策が必要となる今、責務を充足しかねる学長任せにしない覚悟をしていただきたい。

質の低下による母校の荒廃・停滞を、これ以上許さまじ...アイデアはある。

新設学部のあれこれ...

東京経済大学は、今では4学部の文系総合大学という位置づけになっていると、現学長のご挨拶でも照会されている。長きに渡る経済学部、経営学部だけでなく、コミュニケーション学部現代法学部、という学部の新設は、悲願だったように書かれている。


法律に関する知識は、現代において必要不可欠な学問であるが、果たして、東京経済大学において、その学部としての存在意義があるのか疑問である。経済理論を習得したものたちの、法学的素養を高める必要性はある。また、そのための法学系の教授が多く、存在していることは当大学の特色とも言えたのだろう。


ただ、この新学部新設に是非について十分な討議が行われただろうか。また多くの教員の採用にも疑問を感じる点がある。恣意的とまでは申し上げきれないが、高等教育機関での指導能力についても、十分に再検討すべき問題であろう。


山口県のとある大学が、大学初の民事再生法の適用となった。

多くの関係筋から情報が漏れ聞くと、初期投資・計画に甘さはあったのだろう。

しかし、地元の財界人、専門家(?)等の名誉職への欲求、大学教員のブランド欲しさに無理な新設に及んだケースだと思っている。


結局のところ、損害を被るのは現学生とその卒業生である。

対岸の火事、では済まないところまで来ている、早急な改善を。

経営効率という言葉を知っておられますか

東京経済大学には現在、国分寺キャンパス武蔵村山キャンパスがあり、それぞれで授業が行われている。中央線沿線から見れる「国分寺キャンパス」は、新宿から電車で最短19分(中央特快)という距離にありながら武蔵野の緑を豊かに残している文化都市であり、文化人がこよなく愛した土地とも聞いています。多くの財界人等の私邸もあるらしいですが、真意のほどは...


一方、武蔵村山キャンパスの今はどうなっているのでしょうか?

体育の授業でお世話になった方が多いのではなかろうか?また体育会活動の練習に勤しんだキャンパスは、使われる頻度も少なくなり、ひっそりとその使命を終えようとしている。陸上競技場、サッカー場、野球場、テニスコート、そして体育館、室内プールなど体育関連施設や研修ハウスが揃っているのが武蔵村山キャンパスとは送迎バスでつないでいます。送迎バスの輸送能力がボトルネックとなることは容易に予想できたことだろう。


元来、経済効率を考える専門家、それらを多く抱えている最高学府の、

その経営センスには大いに疑問である。

大倉喜八郎翁が設立して100余年

東京経済大学は、1900(明治33)年、明治の政商と謳われた大倉財閥の祖・大倉喜八郎翁により、現在の東京・虎ノ門「ホテルオークラ」隣接地(当時は赤坂葵町と呼ばれた)に創立された「大倉商業学校」を前身としています。「大倉」の名前は全国を轟かす、専門学校として発展する。以来、大倉高等商業学校(大倉高商)、大倉経済専門学校を経て、焦土と化した東京都心部から戦後、現在の国分寺市へ東京経済大学として昇格する。
これまで100余年の歴史のなかで、経済界をはじめ、各界で活躍する人物を多数、送り出す一方で、長きに渡って「凋落傾向」に拍車がかかり、現在では「見た目の派手さ」に内容が乏しい学校となりつつある。

実行力、行動の人、大倉喜八郎翁が、建物だけ立派になった大学を見て、なんと叫ぶだろう。

今の日本を象徴する人格教育の形骸化。


実業界に人材を送り出すことに取り組むには...

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