まかないの生ガキ | 『時たま山伏、いつもは音楽制作者』

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クサリ一本で垂直な崖を登ったり、畳一畳もない岩塔の上で日がな過ごしたりする、山伏に憧れる音楽制作者のブログ。

1月最終日、本年初のライブの仕事で所沢に行った。洪さんのライブの立ち会い。


会場は近隣の音楽好き常連さんが集まるダイニングバー。

僕と同世代と思われる、一見強面で人生破れかぶれっていう風情の店のオーナーは実はとてもシャイで丁寧、それでいて6070年代の洋楽に詳しく、音楽に対する姿勢がとても素晴らしかった。アンコールのブルーズセッションにブルースハープで参加。彼の人柄とミュージックアティテュードそのままの音だった。


昼ライブ終演後に振る舞われた"まかない料理"の数々が素敵。チリソースでいただく唐揚げは日本唐揚協会のカラアゲニストである僕がこれまでに食べた唐揚げの中でも片手の指に入るくらいの絶品。お店名物だという、岩手広田湾産の生ガキが出てきたのにはビックリ。


ライブハウスで出演者やスタッフに"まかない"を出してくれるお店はここ10年くらいで少しずつだが増えてきたように思う。大昔は、バンドマンは食えないだろうからと、ライブハウスオーナーが応援の気持ちを込めて腹一杯になるまかないを振る舞っていたという話を大御所バンドマンの方々から聞いたことがある。


そういえば、お店の看板には音楽喫茶と書かれていた。以前"まかない"をいただいたお店も音楽喫茶と銘打っていたような気がする


常連さんのひとりに所沢地ビールを醸造・販売する会社の社長がいた。所沢産大麦をつかった「野老ビール」をごちそうになる。


(所沢ブランド特産品公式サイトより)


横浜民からすると"野毛町"、"老松町"と隣り合ったあの辺りの怪しい雰囲気を彷彿とさせるネーミングだが、醸造会社のHPを見たら所沢の古い表記である"野老澤"からきているそうだ。


野老という芋がたくさん自生していたとか。東京五輪の市松模様のエンブレムをデザインした野老氏を知ってはじめて「ところ」という読み方を知ったのを思い出す。


ビールは「ところ」と読まずに「やろう」と読む。命名の由来はHPには書かれていなかったけれど、音楽好きである社長の風態や佇まいをみていたら何となく意味がわかるような気がした。




乱魔堂の曲。

アルバムがリリースされたのが1971年初頭、その年の年末に乱魔堂は解散してしまうのだが、これだけ完成度の高いアルバムを作ってしまったら、このあとどんなのを作りゃぁいいんだ、ってことになる。


普段は昔話を語りがらない洪さんだが、昨日は、


…71年の中津川フォークジャンボリーの深夜のステージで吉田美奈子さんが私の出番なのにみんな寝ていると言ったのを聞いて、それじゃぁ、とギターをフルボリューム爆音で弾いてお客さんたちを起こしてやった


と、つい最近の出来事のように身振り手振り臨場感たっぷりに話していた。