山尾しおり氏の言説への違和感
山尾しおりさんが皇位継承議論の本質は「象徴天皇とは何か」という問いにあると指摘していた。上皇さまや今上天皇の「全身全霊のお振る舞いで国民との絆を築く」あり方こそが象徴の核心であり、御簾の奥の血筋(男系男子)だけを前提にした現政権の改正案は、ご本人たちの歩みから政治が離れていくものだと批判している。そして、国民との絆を紡いできた直系(女性・女系天皇)の容認こそが自然な解であると主張している。 https://www.facebook.com/share/p/1ECNCzHWDS/?mibextid=wwXIfr
この投稿で指摘している「全身全霊のお振る舞いによって国民との絆を築き続けてこそ象徴たりうる」という視点は、戦後の象徴天皇制の歩みを肯定的にみる上で非常に深い説得力を持っていると思う。
令和のいま、多くの国民が愛子内親王殿下の気品あるお姿や、国民に寄り添われるお振る舞いに深い敬愛の念をよせ、「女性天皇」の誕生を自然に願う空気が醸されているのも、上皇陛下や今上陛下が示されてきた象徴のあり方に僕たち国民が強く共感しているからに他ならないだろう。その国民の素真な敬愛の情や、愛子内親王殿下が未来の象徴となられる物語には十二分に共感を覚える。
◆「お振る舞い」という機能論と、歴史の真正性
しかし、この「象徴としての優れた資質やお振る舞い」という極めて主観的でエモーショナルな機能論を、そのまま「皇位継承の正当性の根拠」いわゆる大義名分にすり替えてしまう議論には、制度設計の観点から慎重な視点が必要だと思う。
象徴天皇制を支えるもう一つの決定的な大義名分とは、2000年間一度も形を変えずに伝承されてきた「男系による継承」という歴史的オリジナルの連続性だ。これは、建築物や伝統芸能といった「文化財の保護」の論理に極めて近いのではないかと思う。
文化財のオリジナルとしての価値とは、現代の価値観や文化財の優劣によって測られるものではなく、その「固有のルールが一度も途切れずに守られてきたという歴史的事実」そのものにこそ宿るからだ。もし、「現代のジェンダー平等や機能論といった価値観に合うから」という理由で一度その根幹のルールを書き換えてしまえば、どれほど素晴らしいお振る舞いを重ねたとしても、過去から繋がる唯一無二の真正性は失われ、二度と復元することはできない。
◆ 現代のメディア社会がもたらす「冷徹な現実」
さらに、山尾氏の言う「国民との絆」を最優先にし、安易に直系・女性天皇容認へ進んだ場合に待ち受ける「現代社会の冷徹な現実」からも目を背けるべきではない。もし女性天皇が誕生すれば、その配偶者となる民間人男性は「将来の天皇の父親」という極めて重い立場になる。
近年の皇室をめぐる過熱報道や、SNS・マスコミが一体となって作り出す苛烈なバッシングの嵐を忘れてはならない。民間から迎えるお相手やその親族全員のプライバシーが徹底的に丸裸にされ、世論の審判に晒されるリスクは容易く想像がつく。
普通のまともな感覚を持つ民間人男性ほど、その過酷な環境を恐れて身を引かざるを得なくなり、結果として当事者である女性皇族の未来とお相手選びの選択肢を極限まで狭めてしまうという人道的な悲劇が生じかねない。
◆ 本当に弾劾されるべき「国会議員の不作為」
本来であれば、こうした「歴史的オリジナルの保護という大義名分」と「現代のメディア社会において生身の当事者をどう守るかという実務的現実」、そして「国民が抱く直系への敬愛の情」という3つの要素を、どのように調和させるかという深い議論こそが、皇室典範改正の「総論」であったはずだ。
今回の改正において、政府がそうした「理屈のストーリー」を語らず、単なる「皇族数確保」という手続き論の小手先のテクニックに終始したことや、マスコミが加害者としての側面を棚に上げて制度の閉鎖性を叩くような二項対立を煽ったことは、確かに現在の混乱の大きな要因である。
しかし、最も批判されるべきは、政府の保身やマスコミの偏向ではなく、主権者の代表としてルールを定める責任を負いながら、徹底的な先送りを決め込んできた「国会議員の不作為」ではないか。
小泉内閣の有識者会議によって皇位継承問題がクローズアップされた約20年前から、危機はとっくに目に見えていた。憲法第2条で「皇位は、皇室典範の定めるところにより、これを世襲する」と定められている以上、そのルールをどう維持し、どう持続可能なものにするかを議論し、決定する責任は国会にある。
それにもかかわらず、歴代の国会議員たちは、選挙の票読みや、右か左かという不毛なイデオロギー対立に巻き込まれることを恐れたのか、誰もこの「優しくない命題」に正面から向き合おうとしてこなかった。マスコミの切り取り報道を恐れて沈黙し、あるいは党利党略の政争の具として利用するだけで、「伝統文化財としての皇室の守り方」と「生身の皇族方の幸福のあり方」を調和させるための本質的な法制化の努力を、職務怠慢によって怠り続けたのである。
今まさに最悪の形で噴出している、政府の答弁の脆さや、国民の白紙委任への不安という混乱は、政府の能力不足やマスコミの歪さだけが生んだものではない。国家の背骨を決めるという最大の責務から20余年間逃げ続け、立法府としての機能を麻痺させてきた「国会議員たちの不作為」のツケを、今、皇室と国民が払わされている。