カニ | 『時たま山伏、いつもは音楽制作者』

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クサリ一本で垂直な崖を登ったり、畳一畳もない岩塔の上で日がな過ごしたりする、山伏に憧れる音楽制作者のブログ。

カニすきでも食べようとスーパーの鮮魚売り場に行くと、ただでさえお高いカニが年の瀬価格になっていた。



通常時の何割増しになってんだろうかと計算しながら加工品のショーケースに目をやると

懐かしいイラストが入った商品が目に入った。



中島らも作の啓蒙かまぼこ新聞に登場していた"てっちゃんのお父さん"


突然の懐かしさと商品名の怪しさに惹かれあやうくコレでいいかと買いそうになったが、家人の非難の言葉が頭をよぎったので、ブリシャブ用にブリのさくを薄く切ってもらうことにした。


カニ売り場のPOPにあった"原料原産地:ロシア"の文字から、特攻船のことを思い出す。


80年代の終わり頃、札幌に出張にいく度にキティ札幌ブランチのA藤さんとよくカニを食った。同じ会社同士の会食、というか経費使ってのただの飲み会()。高級店などへ行けるはずもなく、A藤さんは「とっておきの〜」と言って、安くて美味しいお店に僕を連れて行ってくれた。


彼はお店の人にカニの値段を聞くと必ず決まって「特攻船(で獲ってきたの)?」と聞いていた。安く美味いカニは特攻船で獲りにいくのだ、とA藤さんは言った。


昭和の終わりころ、特攻船と呼ばれる密漁船が操業していた。オホーツクの狭い日本の領海を越えて、よりたくさんのカニがいる旧ソ連の領海で密漁するために通常のディーゼルから超高馬力のガソリンエンジンに改造した特攻船が旧ソ連領海に全速力で侵入しカニをわんさかと獲り、国境警備艇に捕まらんと全速力で一目散に相手領海から離脱という、"特攻"操業をしていた…とA藤さんは話してくれた。


この漁法が全盛期だった頃、特攻船の母港のひとつであった根室ではハイオクガソリンの消費量が日本一だったそうである。