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ケベック市はカナダ東部に位置する。かつてフランス領土であったため、フランス語圏である。メディアはフランス語と英語のバイリンガルだ。
米国ボストン市から車で2日かかる。途中はニューハンプシャー州とメイン州といった米国東北部のニューイングランドを走り抜ける。この辺りの州は森と湖が多く、紅葉とスキーでもにぎわい、ボストンあたりのリッチマンの別荘地である。といっても、坪1円程度と超格安なので、日本人のセカンドハウスにもお勧めである。
カナダと米国の国境はパスポートだけ見せればOK。カナダでは自動販売機で米国の硬貨も使用できる。カナダは米国の1地方のような錯覚がする。
さて、ケベック市内を観光しましょう。
男性の市内バスガイドの話では、カナダは移民を募集している。移住者には土地をくれる。あなたもどうぞ、との由。(冬は凍りついた土地だろなあー!! オーストラリアも募集してます)
街はセントローレンス川に面する。
旧市街は、石垣と狭い石畳の小道。
セントローレンス川を望む丘の上の手前の建物が、シャトー・フロントナック・ホテル。
セントローレンス河
このあたりの家はフランス流で、赤くとがった屋根が好きだ。とがっているのは、大雪の堆積を防ぐためで、この形はフランス流ではない。 この朱色はカナダの国旗の色。
川辺の古城
レストランです。
今夜のホテルは、かの「シャトー・フロントナック」。
超一流豪華ホテルは、お城そのものです。
ホテル玄関
駐車場
ロビー
王風の個室
ホテルを下に降りと、セントローレンス河沿いを散策できる。「提督の散歩道」と呼ばれている。
この大砲は、河から攻めてくるイギリス艦隊に砲丸を浴びせるフランス軍の基地であることを意味している。戦争でイギリスが勝利する。今日でもイギリス系の支配層との対立が強く、ケベック独立運動もある。イギリス嫌いの人々が多数住む。フランスの氏名が多数派である。
カナダ東部はモントリオールあたりまでが旧フランス領土であり、フランス人の一大観光地だ。イギリス人はほとんど来ない。イギリス人には来にくい所だ。
しかし、東海岸の島プリンス・エドワードは、モンゴメリーの英語小説「赤毛のアン」の舞台である。この小説のTV番組は、ボストンでも繰り返し放映され、大人気番組の1つ。
プリンス・エドワード島の日本語ガイド
http://japan-pei-society.org/frame_gu.htm
今日は週末。
私の住むローザンヌの街を紹介しよう。
郊外の宿舎の窓から。
車で市内へ。 正面奥がローザンヌの街。
市内のローザンヌ湖畔。 湖畔に並び沢山の高級ホテルが立ち並ぶ。
観光客たちが散策する。
噴水。
市の北側の丘陵から。ローザンヌ湖が遠くに見えます。
市庁舎 広場でバザーが行われている。
この女性のフッション。 オードリー・ペップパーンの映画にあるよな ???
バザーでお買い上げしたチーズ。
舌に置くと、とろりとトロケル。
アルプスの牧場の牛から取れる、極上の自家製チーズはとても安い。
日本では数千円のものが、数百円だ。
しかし、チーズとパンだけで昼食というライフスタイル。
不健康そのものですね。
砂漠とロディオの街フェニックスを朝出てから、砂漠の舗装を走破し、ラスベガスに着くころ、すでに陽は落ちてあたりは暗闇となる。夜の砂漠の真っ暗闇の中の、人気のないドライブは恐怖そのもの。車よ、故障しないでくれ!!
突然、眼下に一帯に灯火が広がる丘陵の丘の上に着く。
何だあれは? どこの大都会に来たのだ。道に迷ったか?
カーナビがないので、全く分からない。
しばらくきょろきょろ走る。ここが、ラスベガスだ! ようやく着いた。
砂漠のど真ん中に、ぽっかりと空いたネオンの街は周囲が砂漠であるためによけいに異様な空間だ。
ベガスのホテルは食費と宿泊費が無料のところが多い。
理由はホテルのカジノでギャンブルに使う金の方がはるかに多いからだろう。
それにしても、カビ臭い安部屋だし、食事もろくなものでない。
どのホテルも1~2階はカジノである。
よくみると、客はあまり金持ち風ではない。高齢者もかなり多い。人生の残り少ない彼らは、退職金をここで賭けて、儲かったら子供たちにプレゼントしようとしているように見える。カジノ嬢も老人が多数混じっている。華々しいカジノと思っていたが、USAの墓場だ。
ばかばかしいので、ギャンブルをしない。つまり、今夜のホテル代と食費、合計約100ドルが儲かった。絶対損しない方法として、この方法を選択する。
翌朝、ホテルでもらった無料朝食券を見ると、街のどこかのレストランに行け、と地図が書いてある。レンタカーで行ってみると、なんと、ホームレス用の食堂だ。唖然!!!
朝飯は別の有料レストランに行く。
ホテル経営者も徹底的に節約しているようだ。何せあの電気代だ。しかたあるまい。
キャニオンからボストン行きの飛行機に乗る。
なんと、空港の至るところにギャンブルマシンがある。
機体に乗るタラップまで、マシンが並ぶ。
最後の1ドルまでおいていけ、ということか。
USAは徹底して、シンプルマインドだ。
さて、今回の夏の休暇はグランドキャニオン行き。
まず、飛行機で生活の場であるボストン~ワシントン~フェニックスに着き、1泊目。
そこから車で、砂漠を1日走り抜け、ラスベガスに2泊目。
翌日の早朝に車のエンジンをかけ、また砂漠を駆け抜けると、途中にフーバーダムがある。
夕方にはグランドキャニオン公園の大駐車場に着き、公設ロッジに3泊目。宿泊施設はこのロッジしかありません。
ロッジ玄関
翌朝はやく、小型プロペラ機にのって、森林平地を飛び越えて、小1時間で峡谷に着く。
自動車での移動が禁止されている国立公園です。
これがグランドキャニオン。
20億年の年月をかけて、コロラド河が大地を侵食してできた峡谷。
峡谷の下には、コロラド河がゆっくりと流れる。
岸壁に、竪穴住居が点在する。
拳銃を持つ白人たちからの襲撃を逃れるために、インディアンたちは平地から垂直に穴を掘り、更に横に洞窟を広げ、岸壁にたどり着き、隠れ家とした、との由。弱肉強食の跡である。アメリカ合衆国はアフリカからも奴隷貿易をして、欧州と南米に二グロを売り飛ばす歴史を持つ。こうみると、アメリカという若い文化の野蛮性の一面が垣間見える。
アメリカは、ラテンからの移民、アジアからの移民を20世紀に向かいいれる。多民族国家では、統一された規格の実施は不可能である。様々な社会グループからの様々な意見を共存させるためには、統一基準より、自由競争を人々の生活原理とするしかない。その反動として、格差社会による巨大な貧困層が大都市部に巨大なスラムを形成する。自由競争の行き過ぎが絶えず問題となる国でもある。近年の金融工学による金融危機もこの行き過ぎた自由競争に原因があると思う。
ヘリでのツアーにのる。断崖と3メートル近くまで接近する冒険ツアである。落ちたら死ぬ。 ヘリが激突して死亡することもあるという。 それても禁止にならないとか。
馬でキャニオンの細道を歩くこともできる。徒歩で歩く人には、この馬糞街道は臭い。
コロラド河までは半日かかるので、日帰りの人は、2時間程度下に降りて、また小道を登リ、戻る。
帰宅には、ラスベガスから飛行機でボストンまでの近道。
なお、谷底のコロラド河にはホテルもあるが、予約は1年前に満杯とのこと。
米国マサチューセッツ州ボストン市。
ハーバード大学やMITがある学園都市でもある。
何より、米国で最も古い都市、そして、独立戦争と南北戦争の最大拠点。米国の歴史的都市である。19世紀にはマニュファクチャーの一大工場地帯である。東海岸東北部一帯はニューイングランと呼ばれ、私のいるハーバード大学の女性職員達はイギリス皇室に大変興味を持っている。
ボストン市から少し南下し、避暑地ケープコードを経て、東海岸のプリマス市に「プリマス植民地」がある。
1620年イギリスで反国王派として当局からにらまれた一団(プリグリム)が、小舟「メイフラワー号」に乗って大西洋をアメリカ大陸東海岸に到着した土地がプリマスである。2か月の航海であり、東海岸を南下して、現在のニューヨークに向かおうとしたが、すでに冬季の海は荒れて、難破し、プリマスに退避する。
メイフラワー号の再現
時は、真冬の雪の季節。
難破して食料もろくにない寒風の一行は、インディアン達に温かく助けられ、向かいいれられる。
この歴史的土地は、当時の生活が再現保存されている。
再現された植民地。
訪れているアメリカ人の女性が、先祖の苦労に涙を流している。
当時の生活を再現する職員。
はじめの一歩は小さいが、情熱のある人々は力を結集して、偉大な国を作る。
荒野を駆け抜けるパィオニア魂が、アメリカ人の本質である、と悟る。
広い合衆国には沢山の歴史が保存されています。
プリマス植民地のホームページ
http://www.plimoth.org/
http://www.pilgrimhall.org/hispaint.htm
さて、国際機関での会議も終え、ジュネーブ博物館に行きましよう。オリエントの展示物が並んでいる。
エジプトには癌の国際共同研究の文部省プロジェクトを立案しましたが、日本の代表研究者の方が他界され、中止になった経緯がある。実は、アレキサンドリア大学のある先生が私に勉強したいとの申し出があり、私からエジプトに行くことにするプロジェクトでした。私は日本にいないため、日本の先輩にお願いした。まさか、ジュネーブでミイラに合うとは・・・・
あわあわあわ・・・・
フタ、フヌが開いている・・・・
本物のマミーだ
これって何千年前のもの?
エジプト・プトレマイオス王朝は、トルコ人との説がある。
クレオパトラの妹の墓がトルコで最近見つかった。
クレオパトラはトルコ人と北アフリカ人の混血とされる。
人気のない小さな博物館でした。
あのミイラが後を付けてこないかなー
さて、ジュネーブ博物館を出て、レマン湖(ジュネーブ湖)をちょっとだけ遊覧しましょう。もうすぐ夕暮れです。早くせねばと。
この人。なんでこんな所にいるの???
ジュネーブ人。よくわかりませーん。
ジュネーブって、人気の少ない所です。なんとなく寂しい。
この辺から、渡し船が出る。乗ってみるか
出発ー !
こちらの船もあの形。 通勤や通学のための渡し船だそうだ。
水しぶきがきつい。
これはフランス側です。ただし、この船フランスには行きません。
国際都市ジュネーブはとても静かなところです。
どちらかというと、フランスの保養地といつた風情。
さて、明るくにぎやかなローザンヌに帰りましょう。
スイス・ジュネーブは様々な国際行政機関の本部が結集し、しばしば打ち合わせに訪れる。
ジュネーブはレマン湖(別名、ジュネーブ湖)の湖畔にある。
研究拠点のローザンヌから自動車で1時間程度であり、大変便利だ。
今日はジュネーブの市内に招待しましょう。さほど大きな町ではありません。
ジュネーブの玄関には、このシンボル的な噴水が湖から噴き出す。高さは約20メートル?
向こう岸が高級マンション街。早速行ってみよう。
ここが街の中心部。
この奥に行くと、国際機関の密集地帯となる。
坂の多い、石畳の街です。
国連のジュネーブ本部。 国連本部はニューヨークにあります。 国連大学は東京にある。
WHO本部。 国際機関はどこもガードマンの警備が厳重。 私の用事は主にここ。
明日は、遊覧船の旅です。
フィンランド
フィンランドはフン族の国という意味でもある。
中世にはスウェーデンの領土となる。
ナポレオンがスウェーデンに勝った後、ロシアの領土となる。
20世紀のロシア革命の際にに独立国となるが、ナチスとの戦い、ソ連との戦いと常に外敵との戦いに明け暮れてきた。
トナカイとエスキーモーのラップランド。
なにより、サンタクロスの村がある。
首都ヘルシンキは白夜の北極地方の街である。米国東海岸マセチューセッツ州ボストン市のハーバード大学での研究生活を開始するためにボストンに到着し、家を見つけ、1カ月もしないうちに、フィンランド・ヘルシンキ市での国際会議に出かける。ロンドン経由で、フィンランド航空の100名の乗り程度の小型ジェット機で4時間程度と、かなり遠い国だ。
ヘルシンキ飛行場は幾何学模様の近代建造物。構内で、ソニー製のワールドラジオを10万円で購入した。これさえあれば、世界中どこでも日本のラジオが聞こえる。ところが、ボストンに戻ると、ソニー製ではないが似たようなラジオが2万円。ヘルシンキで購入したソニー製ラジオは日本で1万円であった。ヘルシンキでは日本製は輸入品であったので10倍料金である。関税のかかる輸入とはこういうものである。
8月中旬の真夏の真中である。真昼のヘルシンキの街に粉雪が舞い散る。夏服姿の私は、飛行場やデパートでセーターを販売している理由がわかった。
中央鉄道駅。
ホテルも幾何学模様です。白夜で朝までよく眠れない。
TVチャンネルにはスウェーデンの放送局が入る。湾の西隣りがスウェーデンである。小国ではしばしば大国のTVチャンネルと契約する。コスタリカでは、チリのTVもみられた。スウェーデン語だの何語か知らないが、TVわかりません。
言葉が通じないので、まず数軒ある日本人レストランの内の1軒に行く。日本語でいろいろと現地の情報を集める。ここは、魚を食べる国である。牧畜に適さないので、魚肉である。出てきた魚は塩蒸しで、塩をたっぷり載せた皿に置かれている。
国際会議の目的は、塩料理が血圧や癌に悪いことを討議するためでもある。この地の料理は少ない食材の保存のために塩だらけ、世界的にも高血圧での死亡が高い理由がわかった。
市内の散歩にでよう。
国際会議の大会場でのパーティーではフィンランドの民族バレーなど盛りだくさんのイベントがある。
5日間にわたる会議の途中で、日本人の夫婦に会う。彼は会議報告原稿書きに忙しく、すでに報告が終わっている私に、婦人の相手をしてくれという。言葉の通じない街で退屈しのぎに、ダンスホールに出かけた。夫人はインド風の洋服を着ているので、周囲からインド人と間違われ、彼女はその夜の大人気物となる。これじゃ、学者の旦那も大変だね。・・・・ たぶん毎度のことなのだろう。
とある日の夕方、まだ明るいので、徒歩で帰ることにした。タクシーですぐ近くの距離である。
街には電車が行き交わるが、フィンランド語は読めない。
2時間も歩くが、まだホテルに着かない。次第に夕暮れっぽく、暗くなる。人影も少なくなってきた。
大変だー。迷子になる。
ホテル名だけで、数名の通行人に道を聞くが、どんどん田舎に向かっている。
しばらくすると、英語のわかる夫人に出会う。
全く反対側で、歩いてはいけないとのこと。
タクシーを止めて、運転手に話していただいた。
言葉のわからない町では、今後タクシーを使用することにする。
国際会議に参加していた数名の日本人とご一緒に、市内観光バスに乗る。
ワールドラジオでのNHK日本語放送を皆で聞く。
カリフォルニア大学の教授が近くにいる。カーボイハットに茶色い皮ジャンは西部劇スタイルだ。
ハワイ大の方は、アロハシャツ姿。寒くないのかなあー。
バスガイド嬢のはなしでは、税金60%で、税は福祉に使用する。ただし、給与はイギリスの2倍。したがって、若い人の遊ぶ場所は少なく、野外スポーツなどはやっているとのこと。
観光ツアーは湾岸のハーバーに停まり、ランチタイム。地下にドームのように大きなレストラン街がある。雪よけのためだろう。
フィンランド北部のラップランドまではかなり遠い。今回は行きません。
ラップランドの公式サイト
http://www.laplandfinland.com/In_English.iw3
米国ボストンに帰るのと、東京に帰るのはおなじ距離。日本の知人達とさよならし、ひとり米国に向かう。イギリス・ロンドン経由で、ロンドンからボストンには英国航空である。インターネットのない時代なので、ワールドラジオの日本語放送が日本との命綱となる。
チューリッヒはスイス北部に位置する。
スイスは北部がドイツ語圏、南部がフランス語圏。その他に、スイス原住民がおり、スイスアルプスの麓の牧畜地帯にに住む。今は少数民族だ。
チューリッヒの周囲にはベルンなどの沢山の観光保養地がある。
もっとも、スイス全体が観光地だ。スイスは九州ほどの大きさだが、山好きには見所が満載。
保養地ルッツルンにはチューリッヒから日帰りの観光バスが出ている。湖畔の町である。チューリッヒでの、とある会議の時に、1日だけ休暇を取る。
ルッツルンの街中。
湖につづくロイス川沿いホテル街
アルプスの澄んだ空の下。観光客が満載。
みどころの1つは、ロイス川をまたぐカペル橋。14世紀に造られ、最近に再建される。
中央のカップルは、アメリカから来た中国国籍の方。
橋は屋根つきの木造で、敵の来襲を防ぐ要塞で、塔は牢獄。
ここにもアルプスが・・・・・
保養地ルッツルンから観光バスで小一時間程で、ティティスの国際スキー場に着く。
この一帯がスキー場で、国際基地である。
ケーブルカーを乗り継いで、山頂には雪がどっさりある。
アメリカ人のスイスの大学教授夫人からプレゼントされた「青いスキー帽子」がようやく役に立った。
彼女は、私がここに来ると予想したのかもしれない。
さすが、スイスの国際スキー場だ。













































































































































