中国古典の表記に用いられ、東亜文明の進展にひとかたならず貢献してきたのは、所謂漢文でありますが、私はその力強くして優しい精神をこの上なく愛するものです。
我が国の国法の規定が現代語となりつつありますが、これを嘉すると共に、どうか漢文体たりし旧規定を忘れずに、新たなる時代を築いていきたいと切に思うところであります。

「心の教育」の必要性はしばしばいわれるところですが、管見にては、殊に男子の精神修養は国文漢文、国史、武道をもって略足る可し(余輩はいずれにも、凡そ通暁せざる者ですが…)とも愚考いたします。

固より至らぬ凡愚の身ではありますが、詮ずる所、唯、金儲けの上手い者を「勝ち組」と讃え、民之に倣うか然らずんば貧賤に甘んじ、「負け組」と言わるるも異議を唱うる勿れというが如きは、果たして我らが旭日を耀かす所以なりやと問いたいのです。






交通事故被害者の方から時として,「後で思いがけない後遺症が発生した場合,追加の請求はできるのですか?」と聞かれることがあります。やはり,後々のことがとても不安に思われるようです。

そのような場合,「原則としてできません。後遺障害部分は将来の損害まで予想し,評価したものです。例外的に,全く予想もできない後遺症が出てきて,それも示談額の何倍もの損害という場合は別かもしれませんが。」とお答えするほかありません。

 

症状固定・後遺障害といった観念は,延々と賠償請求が継続し,事件の解決が得られないような事態を防止するという目的もあるものです。どこかで線引きをしなければならないのはいうまでもありません。

そして,将来の損害を定型化して逸失利益・後遺症慰謝料などといった評価をするのです。

 

このような観点からすれば,逸失利益の評価に当たって,中間利息控除を複利・年5%で行ってきたことは,被害者にとってあまりに酷であると思われます。昨今,お金を年5%で運用することはとても難しく,預金にしておけばそのような増え方をすることは決してないからです。

改正民法で年3%に下げられたことは一つの適正化あるいは進歩といえましょうが,それでも金融の実態にかなうものとは言い難いものです。できるだけ積極的に見直しをされたいと思うものです。

開業からもうすぐ5か月ですが,交通事故以外の仕事,相談も増えてきました。

去年1年間,幅広い仕事を経験させていただいたおかげで,他のフィールドについても土地勘のようなものがある程度でき,他分野の相談についても相応の対応ができるようになってきたと感じています。

 

法律問題も多様化が進み,各分野の専門性が高まっている現在,弁護士も何でも屋というのは実際かなり難しいですが(そのようなことは私も考えてはいません),何か専門を持ち,それを核としてある程度間口の広さを持つというのが良いのではと考えています。

 

奥行きと間口の程よい調和点を目指して頑張っていきますので,どうか皆様,よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

アメフト試合での「悪質タックル」問題は,いろいろな観点から私も考えるところがあります。

その一つは,わが国のもののふの姿として,非常に嘆かわしいということです。

 

坂上田村麻呂は敵将阿弖流為の助命を強く望んで朝廷にもお願い申し上げ,楠木正行は厳寒期の戦闘で傷ついた足利方の将士を介抱して衣食を与え,謙信は信玄に塩を送り,乃木大将は敵将と対等の立場で水師営の会見を行いました。

むろん,個別の戦闘では残虐酸鼻の場面があった可能性も否定できませんが,武将の理想としてこのような逸話が語り継がれることを,後世の我々は重くみるべきでしょう。

国家の興廃,あるいは自らの死命を賭した戦いの敵に対してさえこのような態度なのですから,同じ種目を戦う仲間に対して,何と悲しいことでしょうか。

弁護士になって,業種や専門分野によっても違うのでしょうが,私が強く感じたのは,法律や判例の知識を使うシーンが意外と少ないということです。特に,交通事故を専門にしていますと,使う条文は殆ど民法709条・715条,自賠法3条くらいということさえあります。

そんなことで,もともと得意でなかった商法などは,すっかり忘却の彼方です。

 

しかしながら,いろいろな相談を受けたり,難度の高いケースにでくわしたときなどは,「やっぱり,法律学の知識,そして理解は必要だな!」と感じることが時としてあります。

請求権が認められるか,因果関係があるといえるか,時効が成立していないか,などといったことについて,微妙な判断が要請されるケースでは,司法試験受験時代に勉強したような論点や判例・学説をもう一度整理して,そこにこれまでの経験を肉付けして理解を深めた上で,立論していかなければならないことが,実は少なくないです。

時間をとって,基本的な法律の体系書をもう一度読み直す頃に来ているのかもしれません。