空・色・祭(tko_wtnbの日記) -6ページ目

後醍醐は、非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用いることを通して、日本の社会の深部に天皇を突き刺した。このことと、現在、日本社会の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあることとは決して無関係ではない、と私は考える。いかに「近代的」な装いをこらし、西欧的な衣装を身につけようと、天皇をこの「暗部」と切り離すことはできないであろう。


網野善彦『異形の王権』



日本的霊性の情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲を指すのである。無縁の大悲が、善悪を超越して衆生の上に光被して来る所以を、最も大胆に最も明白に闡明してあるのは、法然ー親鸞の他力思想である。絶対者の大悲は悪によりても遮られず、善によりても拓かれざるほどに、絶対に無縁ーー即ち分別を超越しているということは、日本的霊性でなければ経験せられないところのものである。それで、ことに親鸞は日本の教主として聖徳太子に呼びかけるのである。親鸞は、法然によりて浄土思想に目覚めさせられたのであるが、彼は法然が言い尽くさなかった絶対他力的経験につきて、明白な霊性的把握をもつようになった。そうして彼は、法然から更に遡って聖徳太子にまで進んだ。親鸞は、自分の霊性が日本的なる所以を意識していたと言わなくてはならぬ。この意識がインドでもシナでも出来あがらなくて、日本でのみ可能であったという事実は、何かここに日本的霊性なるものの特異性を見出すことにならないだろうか。


鈴木大拙『日本的霊性』

三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駆けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁のしたをくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした。昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民たちが依怙地(いこじ)に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰(らいだ)に耽っている有様でありました。  



三島は、私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私に重大でありました。




太宰治『老ハイデルベルヒ』







老ハイデルベルヒ 太宰治: https://center.akarinohon.com/?p=25375