後醍醐は、非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用いることを通して、日本の社会の深部に天皇を突き刺した。このことと、現在、日本社会の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあることとは決して無関係ではない、と私は考える。いかに「近代的」な装いをこらし、西欧的な衣装を身につけようと、天皇をこの「暗部」と切り離すことはできないであろう。
網野善彦『異形の王権』
後醍醐は、非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用いることを通して、日本の社会の深部に天皇を突き刺した。このことと、現在、日本社会の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあることとは決して無関係ではない、と私は考える。いかに「近代的」な装いをこらし、西欧的な衣装を身につけようと、天皇をこの「暗部」と切り離すことはできないであろう。
網野善彦『異形の王権』
日本的霊性の情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲を指すのである。無縁の大悲が、善悪を超越して衆生の上に光被して来る所以を、最も大胆に最も明白に闡明してあるのは、法然ー親鸞の他力思想である。絶対者の大悲は悪によりても遮られず、善によりても拓かれざるほどに、絶対に無縁ーー即ち分別を超越しているということは、日本的霊性でなければ経験せられないところのものである。それで、ことに親鸞は日本の教主として聖徳太子に呼びかけるのである。親鸞は、法然によりて浄土思想に目覚めさせられたのであるが、彼は法然が言い尽くさなかった絶対他力的経験につきて、明白な霊性的把握をもつようになった。そうして彼は、法然から更に遡って聖徳太子にまで進んだ。親鸞は、自分の霊性が日本的なる所以を意識していたと言わなくてはならぬ。この意識がインドでもシナでも出来あがらなくて、日本でのみ可能であったという事実は、何かここに日本的霊性なるものの特異性を見出すことにならないだろうか。
鈴木大拙『日本的霊性』
三島は、私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私に重大でありました。
太宰治『老ハイデルベルヒ』
老ハイデルベルヒ 太宰治: https://center.akarinohon.com/?p=25375