空・色・祭(tko_wtnbの日記) -11ページ目

田山花袋を先駆とする自然主義文学が、岩野泡鳴や近松秋江のニヒリズム、デカダンスを経て、「現実暴露の悲哀」の果てに人間救済の危機意識をかきたてた大正の宗教ブームにつながっていく過程は、花袋個人にとっては自己暴露の告白『蒲団』を起点として、愛する女性に対する不安と懐疑そして生の空虚さなどの動揺から大乗仏教に救いを求めることを主題とした『残雪』に展開していく道筋と並行している。

愛欲の洗礼を受けて東洋的虚無主義を越え、浄土教的境地へ転身していくのが花袋の『残雪』から『白夜』そして『時は過ぎゆく』の過程であった。


『仏教文学を読む事典』武石彰夫


歳と共に価値観は変わるものだね。


若い頃は我を通したり、反逆したりするのがカッコいいなんて思ったりしていたけれど、この歳になったら、上司に無礼に接するのも気恥ずかしくなるような心持ちだ。


三十五歳。


人並みに歳を重ねてきたかと問われれば疑わしいけど、それでも価値観の変化は訪れるようだ。


価値観は歳と共に変化する。


十年後、二十年後はまた、過去を振り返って、あの時はあんなことがあったとか、あんなことを考えていたとか色々懐かしく思うんだろう。


色々と辛苦を味わったり、若干楽しかったり、波のある人生だけど、それでも生きてきたし、これからも生きていく。


後悔のないような人生をなんて常套文句を言っても仕方がない、後悔はきっとするだろうし、今もしているよ。


何故あの時ああしなかったのだろうかって。


でも、それも人生だし、機運が立つ時が来たら十分に妥協できるだろうね、きっと。





人生にドラマをつくらなければならない。

 

大袈裟な言い回しですが、今現在波の立たない日常を送っていますので、そう考えました。

 

ドラマをつくるというと、大袈裟ですが、大多数の人間が、結婚したり、子供を産んだり、あるいは、起業したり、失業したりと、なにかしらの出来事を経験していると思います。

 

今現在の自分は、実家の親元に帰り、三十代にもなり、親の厄介になり、半分引きこもっているようなものです。

 

これにも、経済的な面で理由があるのですが、今はそういう時期だと思って、妥協しようと思っています。

 

いかにしろ外に開いていかなければ、なんにもならない、引き籠もっているだけということになってしまう。

 

経済的に余裕ができたら、二週間に一度ぐらい東京に行く事を、自分い課せてみようかとも思います。

 

もしくは、何か習い事をして、新たな交友関係をつくる場に登場するのも良いかもしれません。

 

お金はかかりますが。

 

とにかく、今は辛抱強く耐え忍びながら、先の日記にも書いたように、これから道楽にお金を使い、人生を満喫する事を考えています。