再軍備反対論は、純然たる平和志向だけから発生してきたのではなかった。その根底にあったのは、アメリカによって戦後日本のナショナル・アイディンティティがねじまげられることへの抵抗感と、アメリカに従属して復活をはかろうとする旧勢力への反発だった。そして当然ながら、護憲と非武装中立の論調は、そうした心情を基盤として発生してくることになるのである。464p
もちろん、日本の「自主独立」を主張するのに、アメリカから与えられた憲法を掲げることは、一種の矛盾ともいえた。しかし逆にいえば、その憲法を逆転して利用することは、アメリカへの最大の抵抗力となりえた。清水幾太郎は、「憲法がアメリカの押しつけによるものであることは明らかである」と認めたうえで、こう主張している。
・・・・・・〔アメリカは〕朝鮮戦争のころから、即ち、アジア侵攻作戦における日本人の利用を考え始めてから、事毎に憲法を邪魔なものにし、これを骨抜きにする手を打って来ている。日本を再軍備させようとするアメリカ側の要求と、憲法を通じて新しく生れ変った民衆に怯える日本の支配者たちの要求とが、ここで内外から結び合わされることになる。それゆえに、憲法の学習と実践と擁護とは、国家からの独立という意味で国民的主体性を帯びるだけでなく、アメリカからの独立、というより、アメリカへの対立という意味で国民主体性を帯びるものとなる。・・・・・・・・・・・・ただ反米というものではない。アメリカの行動を審く尺度がわれわれの手のうちにあるのである。アメリカは地上最強の国かも知れぬ。この最強の国との対立において、われわれが憲法を学習し実践し擁護することを通じて、日本は本当に独立するのであろう。対外的主体性を獲得するのであろう。472p
逆にいえば、敗戦直後には批判の多かった憲法が、一九五〇年ごろから「国民主体性」を表現する媒体として再評価されたのは、アメリカ政府と日本政府が憲法を捨てたからであった。竹内好は一九五ニ年五月に憲法を評して、敗戦直後には「外国から与えられたということが、心理のシコリとしてあった」のだが、「為政者の憲法無視が、逆に憲法擁護の気持を起させた」と述べている。473p