一九五五年には、共産党にかぎらず、政界の大規模な再編が進行していた。共産党が六全協で武装闘争路線を放棄したのと前後して、再軍備の是非をめぐって分裂してきた左派社会党と右派社会党が合体し、日本社会党が結成された。これに対抗して、保守政党の側も自由党と民主党が合同し、自由民主党が結成される。いわゆる「五五年体制」とよばれる政党地図ができあがったのは、このときであった。そして一九五六年の経済白書には、流行語ともなった「もはや『戦後』ではない」という言葉が登場する。
いわばそれは、一つの「戦後」の終わりであり、もう一つの「戦後」の始まりであった。共産党の武装闘争放棄に象徴されるように、革命と闇市に象徴される激動の「戦後」は、敗戦後一〇年で終わりを迎えていた。それに代わって、高度成長と「五五年体制」に象徴される、安定と繁栄の「戦後」が始まろうとしていたのである。292p