人生を愉快に幸せに楽しんで生きようなんて思うな!といった思念が今日湧いた。 | 空・色・祭(tko_wtnbの日記)
人生を愉快に幸せに楽しんで生きようなんて思うな!といった思念が、今日湧いた。

人の不幸と言えば、むごたらしくて、できれば触れたくないという気持ちは仕方がなく、不幸に配慮せず言えば、それが本音である。

例えばニュースを見ていて、幼児虐待の事件やいじめの事件などは、自分に取ってはチャンネルを変えたくなるような事柄だ。

しかし、人の苦労話や苦悩といったものになると、妙に共感できるところがあり、感情移入したくなる。

それこそ、私自身も今まで生きてきたなかで、苦労することが多かったので、そう思えるのだろう。

特に、学生時代のゆとりある猶予期間から厳しい社会に投げ出されて苦労したという話は、私の友人のなかにも多く、小さな苦労であるにしろ、それらの経験は他人と共有できる苦労であるだろうと思ったりする。

しかし、私の場合、普通、人の悩みに上がらないような事柄で悩んだりしたこともある。それらは、他人と共有しがたい悩みだ。(おおよそ人それぞれ、個別の悩みというものはあるのだろう)

それら悩みをこのブログに書き連ねて、暗い話題を展開しようなどとは思わないが、個人的な悩みというものはある。

大なり小なり、人の日常から悩みが消えることはない、そうであるのなら、価値のあることで悩みたいと思っている。

その価値のある悩みが導いた、奇遇な回答に「人生を愉快に幸せに楽しんで生きようなんて思うな!」という厳格な言葉が、今日浮かんだ。

仕事から帰り、親と話したところ、年金暮らしに入った両親は、生計を立てるのに足る、微々たる金額しかもらってないという。

両親は貧乏であるにも拘らず、子供を四人育てた。

感傷的な部分は省くが、物心ついてから今まで見てきた自分の両親の人生を顧みると、まさに「人生を愉快に幸せに楽しんで生きようなんて思うな!」といった観念が浮かぶのである。

心にできた陰り、それは深みと言っても良いのではないだろうかと思う。

深みのある人生を、深みのある精神を、それら、美学的な謂に自分を励ましたい。

この投稿は気恥ずかしさもあるが、自分を戒めるものとして、このブログに書き記しておきたい。