【実録シリーズ】心の声を聞き、前提を変えた話。(その2) | 【心躍る心理学】女子率96%の高校出身者が語る、心屋流でパートナーと心と体で結ばれる自分になる秘訣◇恋愛・セクシャリティ◇京都 東京

【心躍る心理学】女子率96%の高校出身者が語る、心屋流でパートナーと心と体で結ばれる自分になる秘訣◇恋愛・セクシャリティ◇京都 東京

中学はブラバン、高校は共学一期生。ハーレムと思われる女子社会をサバイブしつつ、彼女の自殺や友人との死別を経験しつつ、
ダメな自分を受け入れていった心屋式リセットカウンセラー兼選曲屋の
基本ゆるくてタマにアツーく何かを語るブログ。

前回の記事の続きです。

 

勘当される、行きていけないと

認識した背景を掘り起こすと、

 

①親の教育方針

②祖父母の教育方針

が重なっている事が分かりました。

 

その2では、どんな育てられ方をしてきたのか、

そこから、どんな前提を小学校入る前までに

獲得していったのかを振り返って書いておきます。

 

 

 

ちなみに、親の名誉のためにも申しておきますが、

このように育てられたことは、感謝しています。

そして、

このように育てられた事が辛かったこと、

教育方針はまさに愛情表現であったことは、

先に書いておきます。

 

 

 

■祖父母と両親に育てられた私

 

私が生まれた時は、

父が呉服の職人で、

母は事務の共働きでした。

 

幼稚園に通っていましたが

共働きのため、

朝は母方の祖父母の家に預けられ、

朝食をとり、

そこから祖父が幼稚園に送り迎えを

してくれていました。

 

 

祖父母は、厳格なことで有名でした。

口で言っても分からなければ手を挙げる。

それが当然、という昔ながらの家の方針でした。

 

その教育を受けた母も、

同様のルールの持ち主でした。

だって、そうやって育てられてきたんですから。

 

「一人っ子だからといって甘えさせてはいけない」

そういう教育方針でした。

 

 

私の年賀状や手紙を受け取った方なら

分かると思いますが、

かなり字がキレイです。

 

母の躾の賜物です。

 

例えば………

小学校1年生の頃は、ひらがな練習帳がありました。

 

「あ」のページなら

 

なら「あ」を80個くらい1ページに書いて

母親に提出します。

 

母親がチェック。

そして、一つでも気が抜いた文字があれば、

 

全て消しゴムで消して

やり直しをさせられます。

 

ぬとか、ねとか、形が難しいものは

何度も書き直しをさせられました(笑)

 

そういう、育て方の家でした。

 

この時点で、もう既に

親の顔色を伺う子でした。

 

6歳で、

親にはむかったらどうなるかわからない、

思っていました。

 

 

■腹の中の怒りを出すのをあきらめる幼稚園児

 

 

 

私はあまり褒められて育った経験がありません。

 

当然、褒められてはいるのですが、

記憶にないのです。

 

何か少しのことでもできていないと、説教タイムです。

何か問題が怒ると、説教タイムです。

 

 

2時間3時間は当たり前です。

 

でも、ずっと説教されっぱなしではないのです。

 

では、なぜ

そんなに長いのかというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、本当の事を

言えないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

 

 

どっちみち、

手をあげられる。

 

 

 

 

 

そう、思っているんです。

 

 

 

 

 

 

本当のことを言っても、

受け入れて貰えませんでした。

 

相手が悪くても、そういうことになる

お前も悪い。

 

そんな道理です。

 

だから、どっちにしろ、悪いんです。

親からすると、全部私が悪いんです。

 

 

 

 

 

言わなくても、

言っても、叩かれる。

 

じゃあどうするか???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黙りこむんです。

3時間無言を

貫くんです。

 

 

そうすれば、叩かれることは、

あまりないことを経験から学びました。

 

「本音を言うと、ろくなことにならない。」

 

幼稚園児の時点で、

これを経験から学んでいました。

 

 

 

■階段の音が怖い

 

小学校の頃は、

よく寝たふりをしていました。

 

起きていれば説教タイムが始まる恐怖がありますから。

 

私の部屋(というか自分の空間)は2階だったのですが、

ダッ、ダッ、という階段の音が

怖くて仕方ありませんでした。

 

「孝則、起きてんにゃろ、ちょっとこっち来なさい。」

 

もう、何百回言われたか、わかりません。

 

階段の音を聞くと、冷や汗が出るんです。

 

また来た、

今度は僕は

どんなことを

しでかしてるんだろう

 

そうやって、

何も無かったとしても、

自分で自分を振り返る子でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か悪いことを起こさないようにするには、

親の機嫌がどうかを

徹底的に観察する必要がありました。

 

何か話しかける時にでも、

タイミングを見計らって話しかけていました。

 

忙しい親の迷惑になってはいけない、

親の期待に応えなければいけない。

 

 

だから、本当は家には帰りたくないのです。

まだ祖父母は孫ということで可愛がってくれるんです。

 

でも、疲れて帰って来た親を

悲しませないようにするためには、

お利口さんを演じて、怖い家に帰る他ないのです。

 

 

 

 

 

守ってくれるのは祖父母だ、と少しは思っていたかもしれません。

自分の中の比較的安全なゾーン。

 

ただ、母を育てた祖父母に預けられたことで、

また別の大きな期待に応えなければならない、

という法律を導入することになります。

その結果、

31歳の今までずっと癒えない自分を

延々と引きづることになります。

 

 

 

 

その3へ続く)