ノブレスオブリージュ・・・高貴な義務


この言葉が本来意味するところや位置づけなどはわからないが

自分なりの解釈で書きます



もともとは裕福になればそれだけ社会的責任も大きくなるというような意味らしい


ただこの言葉はその範疇を超えてもっと広い意味で使われても良いと思う


恵まれている人が果たすべき使命


イギリスではこのノブレスオブリージュの精神が強く反映されている

戦争が起きたとき真っ先に立ち向かうのは身分が高い貴族だそうだ

そして戦死者も貴族に多い


騎士道とでも言うべき精神は非常に美しい


今、この時代、この国において

恵まれすぎている

無条件に多くのものを与えてもらえる


だからこそ追うべき義務がある

恵まれた人間であることを自覚し

求めるだけでなく与えるようにならなければならない

それは「義務」であり「使命」なのだ



自分の過去を振返ると

当時は当たり前だと思っていたことは

実は非常に恵まれていたことだと気付かされた


他の人の壮絶な体験を聴くと

なんて今まで平々凡々と暮らしてきたのだろう

なんて幸せだったんだろうと気付かされる



過去にいじめや虐待を受けて育ったため

自分と同じ経験をする人をだしたくないと

全力で頑張っている人がいる


過去の辛い体験をプラスに昇華して

社会に還元しようと必死になっている人がいる


そんな話を聴くたびに

「自分には真似できない」

「自分とはエネルギーの源が違う」

と恵まれていたいた自分に劣等感を感じさえしてしまった


しかし「ノブレスオブリージュ」という言葉に出会ったときそれは変わった

別に家は貴族でもないし裕福でもないけど

恵まれている自分だからこそ負うべき義務がある

そう考えられるようになった


両親から深い愛情をもらいながら育った

多くの人に支えてきてもらった

生かされてきた


だからこそそれに答える義務がある

もらいっぱなしでは終われない

もちろんこれからも多くのものを与えてもらいながら

生かされていくだろう


しかし与えてもらったらもらっただけ

貢献する義務がある

貢献とは「命」を「使」ってはたしていくべき使命である




ノブレスオブリージュ

高貴な人間がもつ義務

恵まれた人間には使命がある



人生80年


まるで永遠に明日が来るように一日一日が過ぎ去って行く


しかしいつか終わりが来る


それはわかっているが本当に意識できているだろうか


余命を宣告された末期がん患者


その場面を想像してその人の気持ちになるということはできる

しかし本物の衝撃には遠く及ばない


残りの命が告げられると

一日一日を本当に大切に出来る人が増えるという

本当に自分に大切なことに時間を使える人が増える


もちろん抗生物質の副作用による苦しみなどはあるだろうが

死までの数ヶ月間、至極の幸福を過ごす人もいる


本当に大切なものを大切にする人生は幸福をもたらす


そしてもう1つ興味深いことがあった


余命を告げられたあと

残りの期間を大切に、幸せに過ごした人たちは何も学んでいなかった

ということ


余命を告げられた以降

残りの期間をどう過ごすのかという点で

専門家に相談したり、本を読んだり、資料をしらべたり・・・など

何も学んでいなかった



つまり

最初から幸せな時間を過ごす方法を「知っていた」ということになる


これは誰にでも共通することにように思える

幸せになる方法を「知っている」のに「実行」していないだけなのだ


幸せになるには

本当に大切なものを大切にあつかう

身の回りにあるもの、人に感謝する

今という瞬間を楽しむ


これだけなんだ


自分なりの幸せの公式というものを発見した



嬉しいと楽しいとありがとうをまぜあわせると幸せができあがる



人生80年


そのうちの最後数ヶ月幸せの方法を実行するだけでその人の人生はよい人生になる

要は気づきのレベルを常に深めて行くこと

80年のうち40年、50年が幸せだったらと

そんな人生だったら最高だ


出来うる限り

うれしいと楽しいとありがとうを集めて生きたい



人生は選択


朝起きてから夜寝るまで選択の連続


自分の行動、解釈すべてを選択している


自分の身の回りにおきること全ては選択できない

しかしどんな状況であろうと、どういう行動、解釈を選択するのかは自分が決められる


また自分の人生をどういうものにしたいのかも自分で決めていく


親に決められてしまった

そんなのはありえない

それは親が決めた選択を受け入れる選択をした

その時点で自分の選択である



つまり人生は選択


道を選ぶということは

いくつかある選択肢からひとつを選ぶということ


俺はこれを勘違いしていた


まず「選ぶ」ということと「選択肢を増やす」ということはまったく別のことであるということ

そして選択肢のどれかに正解があるという誤解


俺も含めて多くの人「選ぶ」ことよりも「選択肢を増やす」ことに力を入れてしまっている気がする

高卒よりも大卒のほうが仕事の幅が広がるから大学受験をする

大学よりも大学院のほうが

英語をしゃべれたほうが

資格があったほうが

田舎より都会のほうが

こういう仕事につければ転職で有利だとか



選択肢を増やすことは悪いことではない

むしろ望ましいことだと思う

選択肢は大いに越したことはない

しかし本当に重要なのは選択肢が多かろうと少なかろうとその中から「選ぶ」ということ


なんとなく幅が広がるからといろいろなことに手を出しても

「選ぶ」ということが無ければ人生は白紙のまま


選択肢が100個あろうと、自分が選びたい選択肢がなければどうにもならない

選択肢が1個しかなくても本当に選びたい道だったらそれで十分だろう


教育に関してもそう

選択を増やす教育はなされるが

本当に大切なものを選択する教育はなされない


おれ自身選択肢を広げるための人生を歩んできた

実際に選択肢が広がってきたけど

今思えば

「それがどうした」

という程度のものでしかない


人は必ず自分の人生で選択を迫られる時がくる

その時に「いくつ選択肢をもっているか」ではなく「本当にあゆみたい道を選ぶ」

ということが選択である



もう1つ

選択肢の中に正解があるという誤解


これは衝撃だった

まさしく勘違いをしていた


世の中でうまく言っている人はその時その時の「正解」を選んできた人だと思っていた


しかしそれはまったく違う


おそらく幼いころからの教育で正しい答えを選ぶということされてきたのが原因じゃないかと思う


実はどこにも答えなんてなかった


「正しいものを選ぶのではなく、選んだものを正しくする」

それが答えだった


「選んだものを正しくする」という姿勢こそ選択なのである

その覚悟・責任をともなって初めて選択をいえる


選んだものが正しくなるようにすれば、その人はずっと正解を選んできたかのようにみえる

ここがポイントだった


そう思うようになってから後悔がなくなった


あの時ああしていたら

あの時あっちの道にいっていたら


それは自分が選んだ選択を正しくできていないということ

だから正しくするためになにかをしなくてはならない

そう考えられるようになった


人生は選択だ

そして選択とは「覚悟」を決めること、「決断」すること、「責任」を持ち続けること

そのことをいう