高校のときこんな話を授業できいた
(かなり曖昧でおそらく正しくはないだろうけど)
孔子の弟子に子路という人がいる
子路は孔子に弟子入りしたくて門を叩いたのではなかった
むしろその逆で孔子に恥をかかせようと会いに行った
しかし孔子と対峙することで孔子の大きさを知り一転弟子入りする
身なりをしっかりしていなかった子路に
「君子たるもの冠を正さなければならない」
などと孔子は儒学の教えを子路に施して行った
子路は争いの中で命を落とすことになる
四方を敵に囲まれるなか冠の紐が切れてしまった
剣をとめ冠を正す間に切られそれが致命傷となった
子路の生き方に惹かれる
ここまでの忠誠心
この忠誠心こそが子路の力ではなかったのだろうか
殺された子路は敵軍によって塩漬けにされてしまう
それを聞いた孔子は身の回りの塩漬けをすべて捨てる
ここも深い
オレのもつ言葉では表現できない
この忠誠心とカリスマ性こそ理想の形
今までは自分、自分だったが
自分を差し置いてでも支えたい存在
自分を捧げたい存在
そんな究極のリーダーのもとで忠誠を誓う
そんな強大な力を求めている
人のために生きる
それは2つに分けられる
弱いものを救う
強いものをさらに伸ばす
マイナスからゼロへ
プラスをさらにプラスへ
オレは今は、マイナスからゼロへはできないしやりたくない
プラスをさらにプラスへ
「さらにプラスへ」の「足し算」のそんざいではなく「掛け算」の存在になりたい
「足し算」と「掛け算」の差は忠誠心とカリスマ性
信仰心にも近い忠誠心をもちリーダーの「掛け算」になりたい