自分との戦いの中で
一番苦労したのがモチベーション管理かもしれない

人から影響を受けてモチベーションが上がることは勿論あるし
そんな良い影響を与えてくれる人が回りにいること自体幸せだ
ただ俺の考えではそれは2次的なもの
自分のモチベーションくらい自分で管理しなければならない
人からモチベーションをもらうことは否定しない
むしろ素晴らしいことだと思う
しかし、モチベーションの源を他者や他の物にあけわたしてはいけない
それは甘えであり依存であり不自由な状態を作り出す

自分との戦いに他者を持ち込んじゃだめ
正々堂々とやる

俺が昔やっていたモチベーション管理って
かなり強引で乱暴だけど理にかなっているところもあるにはある

俺の昔やっていたモチベーション管理は
「疑わないこと」

こんなことやって意味があるのかな・・・
なんて思ったら一気にやる気がなくなる
だから意味があるかどうかなんて「疑わない」
そんな考えがでてきたら
「意味ないな・・・」ってモチベーションダウンするのもダメで
「意味はある!」ってこじつけても結局将来同じことが起こるからダメ
そういう時は「意味があるかどうか考えることが意味がない」として
今やっていることを疑わない
そういう疑問を頭から排除する

本当にこれでいいのかな・・・
という不安はやる気を奪う
この場合も「疑わない」
これでいいかどうかなんてそのとき考えてわかるものではない
そんなこと考えるくらいだったら「疑わずにやる」

余計なことを考えたり不安に思ったりするから
理由だったり安心感だったり答えだったりが欲しくなるんだろうけど

「そういうもんでしょ」と「疑わない」ことが一番のモチベーション管理だね

例えば一日飛びこみ100件行ってこいとか
一日12時間勉強しろってなったとき
やりもしないやつは話にならないからほっとくとして
やっているうちに辛くなって「何でこんなこんなことやってんだろ」
ってなったらもう負け
素直に「疑わない」ことを実践すれば「何で?」なんて出てこない
100件やってどうなるの?とかじゃなくて
12時間勉強してどうなるの?でもない

そう思うときってどうなるかは実はあんまり問題ではなくて
逃げたいだけ
だからそんな考えは頭から排除する

「疑わない」
これだけでモチベーションを管理できるわけじゃないし
逆に危険な部分も多く含まれているが
疑わずに目の前のことをやる
という超近視的な方法は思ったより使える

過去になんど救われたことか
「疑わずに」目の前のことに集中していれば
やる気なんていつの間にかわいてくるし
法則って言っているけど自分の感覚で思いついたから
勝手にそういっているだけですが・・・

3ヶ月の法則はあると思う

何か新しく物事を始めるときとか
知識の習得だったり
自分を成長させたり
磨いたりするときって
即効性のあるものってあんまりない

1日だけ腕立て1000回やったからって筋肉がつかないように
やればすぐ目に見える形になるものって特殊な場合を除いてないと思う
こつこつと長く続けることで効果が徐々に現れてくる
縦軸に効果、横軸に時間をとったとき
比例関係のように伸びて行くのではなく
べき乗の関係で伸びて行く
あるところまではずっと低空飛行だったものが
急に上昇するきっかけをつかむ
上向きなるとあとは時間を重ねれば重ねるほど伸び幅は大きくなって行く

ここで言う上向きになるポイントが3ヶ月
正確に言うと6ヶ月になる

たとえば成長のために読書を始めたとする
一週間に何冊とか目標を決めて読み始める
読んだ本の内容によってはすぐに大きな気付きが得られることもあるけど
何冊も何冊も読み重ねて力になっていく場合のほうが多いと思う
3ヶ月やったところでもし辞めてしまえば上向きのきっかけがつかめない
3ヶ月やって初めて上向きの「条件を満たす」からだ
3ヶ月やったことの効果が来るのは3ヵ月後
つまり始めてから6ヵ月後
でも3ヶ月で辞めてしまったら6ヵ月後にはべき乗の効果は望めない
3ヶ月やったことが3ヶ月後に効果が出始める
3ヶ月やった後、効果が出始めるまで続けた3ヶ月の効果は
始めの3ヶ月の効果が出始めて3ヵ月後にべき乗となって現れる

なんか文章にするとややこしい・・・
1~3ヶ月目にやった成果は7~9ヵ月後に出る
4~6ヶ月目にやった成果は10~12ヶ月後にでる
7~9ヶ月目にやった成果は13~15ヵ月後にでる
というようになっている

3ヶ月やったことは3ヵ月後に成果が出始める
続けることで効果は上塗りされていく

長く続ければ続けるほど伸び幅が大きくなることも重要
どんなことだろうとそこには「真理」が存在する
真理に近づくことで「経験知」「経験記憶」が蓄えられる
一旦構成されたネットワークは他の分野でも応用がきく

よくその道のプロ同士が対談をすると共感する部分が多くある
という話をする
いくらジャンルが違っていても「真理」は1つであり
専門的な話ではまったく違うかもしれないが
蓄えられた「経験知」「経験記憶」のネットワークの話をしているんだと思う

3ヶ月の法則を意識すると途中で辞めるのはもったいなさ過ぎる
逆に自分以外の誰かが「最近変わったな」って思うことがあったら
それはその人の半年前の努力によるものとなる
つまり気付いた時点で半年の遅れを取っている

なんか書いてて意味わかんなくなっちゃいました。。。
和也さんのブログに影響をうけて思いつきました

「たまたま」の反対ってなんですかね?

たまたま、人に出会う
たまたま、仲良くなる
たまたま、本に感銘を受ける

良く考えてみるとホント「たまたま」なことが多い
たまたま生まれたところで
たまたま同じクラスとかになって
たまたま仲良くなって
たまたま知り合った人と結婚して
たまたま移り住んだところに家買ったりなんかして

でも解釈は無数なので俺はどういう解釈をしているかというと
「たまたま」っていうのはないと思っている
おこるべくして起きたことなのにそれが「たまたま」に「見える」から
「たまたま」と感じているだけなんじゃないですかね?

例えば、日常生活で
「明日がたまたま来るといいな」とは思わない
なぜかというと
明日は寝て起きたら来るものだし
明日がこないなんて思ってもないから

だからある人と知り合わないなんて思ってみてなかったら
その人と知り合うことはたまたまじゃなくなくなる

言葉遊びですが
「たまたま」の反対は「またまた」だと思います^^

またまた熱い人と知り合った
またまた良い人にめぐり合えた
またまたよいところに住めた
またまた夢を叶えられた
またまた成長できた

「たまたま」じゃなくて「またまた」
当たり前のように明日がくるように
すでに決められていたかのように
夢を叶えて行く

もちろん「たまたま」と思ってしまうこともあるし
「たまたま」だと思えるからこそ感謝できる

でもそんな「たまたま」とは逆の
「またまた」と思えるようなワクワクする毎日を送っていきたいっすね!