能力を手にする為の

反復回数は個人によって異なり

それに比例するように

時間も労力も

つぎ込まなければならない



おそらく誰もがそんなこたぁ

当たり前だのクラッカーだ馬鹿野郎と

思うわけだけれども 

だったら何で義務教育期間は

一律に定められているのだろうと

不思議に思っても良いだろうに



義務教育とは

親が子に受けさせる義務であって

子供には権利なのだから

一生をかけて九九を学び続けても良い



何も大人と子供を

分ける事も無く

労働の義務を廃止して

自身の能力を高める義務に変え

その義務を果たすすべての国民へ

日常生活の保証をすれば



低能者は

一生九九を学び続けるだけで

不自由のない人生を送れる



それが幸せかというのは

おそらく個々の価値観によって違うが

何にしても一度聞けば理解する人と

一億万回聞いても理解出来ない人を

同じ土俵に上げる事は

パワーハラスメントにはならないのか



義務教育の成績基準を

決める事自体がナンセンスだろう

能力には個人差があり

好き嫌いは誰にでもあり

おそらく知恵の輪のような

知る順序のようなものも

人それぞれ順序に違いがあり



上上下下右左右左BAのように

必殺技を繰り出すように

個々人特有の順序通りに学ばなければ

辿り着けない極地が

おそらく存在しているのが現実



だからこそ

格差が生まれるのだから

間違いなくその特性を見つける方が

先決なのに一律に

富士山の五合目までは登りなさい

そこから先は自由ですみたいな教育では

おそらくその個人の極地には辿り着けない



公立の小学生の殆どは

登山どころか生まれた樹海から

出られずにいるのは

これまでの歴史が証明している