一年生の歌を

卒園間近までいいだけ歌わされると

否が応でも小学校とは

友達がたくさん出来る場所なのだと

思い込まされて

ワクワクしたけれど



実際に入学してみると

保育園よりも生徒数の少ない

僻地の小学校で

全校生徒合わせて12人しかおらず

しかもそのうちの3人は身内で

全員と友達になっても

8人しかいないのだから

100人は無理だよと

それまでは大好きだった

保育士さんを嫌いになった



そんな事を思い出したのは

九州旅行の移動で御当地の鉄道を

あえて利用した時の事だった



せっかく母の故郷の

九州にまで来たのだから

御当地の鉄道を利用しようと

大牟田でJR線から西鉄に乗り換えると

ホームで線路の始まりを見れた



ここからこの線路が

どこまでも続いているのだと思うと

心の中であの歌がヘビロテされて

ワクワクが止まらなくなった



柳川や久留米と

福岡市内に近づくにつれて

田園風景から都会の街並みへと

移り変わる車窓を眺めながら



博多駅から新幹線に乗ると

函館まで行けるのかと考えると 

本当に線路とは

どこまでも続いているのだと思い



列車に乗れば

どこへでも行ける

そんな解放感に浸りながら

終点の天神駅で列車から降りると

そこで線路が終わっていた



意外と線路の

終わりは早かった

大牟田であのまま

JR線に乗って博多駅まで行けば

こんな思いはせずに済んだのに



なんだろう

このデジャヴ感はと振り返ると

小学校入学時に

しばらく一人で下校しながら

保育所の先生を恨みながら歩いた

下校時の記憶が蘇り



あれっと我に返り

この旅で見て来た景色が

幼い頃過ごした

実家のある田舎と似ている事に気づき

不意に母の生まれた故郷と

自分の育った環境が重なり合い



線路の終わりを見つけて

友達は一人も出来なかった人生だけれど

親子の繋がりを再認識させられ

血縁という不可思議な繋がりこそが

どこまでも続いていて

切っても切れないのだと気づいた時に

少しだけ心が軽くなるのを感じた



そもそも友達を

必要としない一人好きな 

性格なのだから

案外とあの環境こそが

あの頃の自分には

合っていたのではないか



まさにこれこそ

天神様のお導きかもしれない

そう考えると

有り難いという事に

ひとまずはしておこう