有事となれば軍人は命を賭して戦う
それはつまり他国人を殺すという事だ
軍人同士なら
覚悟の上だから問題ないのか
それが他国の民間人なら
ただの殺人なのか
終戦を迎えれば
軍人も帰国して国の英雄と称えられ
その後の人生も安泰なのだろうか
少なくとも祖父は働いた
30歳前後で帰国して
炭鉱夫やタクシードライバーとして
定年まで働き
たしか60代前半で亡くなった
特別に勲章なども無く
英雄視など誰にもされてはいなかった
残された祖母は
まだ50代だったはずだけれど
90歳過ぎまでの30数年間
遺族年金と軍人恩給で
不自由の無い生活を全うした
祖父が軍人として
どんな役割を担ったのは知らない
ただフィリピンやサイパンなどの
東南アジアに行っていたとは
祖母から聞いた事がある
現地の人々とは
友好的だったらしく
軍港の街で
タクシードライバーとして働きながら
それらの国の人々を乗せると
意気投合して自宅に招いて困ったと
祖母が愚痴っていたのを思い出す
もしも祖父が
現地での戦闘で誰かの命を奪ったとして
それは天皇陛下の命令だからと
戦争とはそういうものだと
そんな時代でそうせざる負えなかったと
割り切れるだろうか
個人的には
祖父の事が怖かった事もあり
その責任を孫のお前も自覚しろと
他者に言われれば
反発するに違いないけれど
自問してみるとどうだろうか
祖父は志願兵だった
そうしたきっかけは知らないが
他国の軍事パレードや
戦闘地域で従軍する人達へ
その国の大統領が激励に訪れたりする
海外ニュースを見ていると
あの時代の子供たちが軍人に
今の子供たちがアスリートに抱くような
憧れを抱いても不思議ではないと
最近になってよく思う
戦争反対が当たり前
暴力や暴言もいただけない
大声を出す事すら憚られる
そんなこの時代にも
他国には軍隊が存在し
国家の指導者に称えられている
考えてみれば我が国でも
自衛隊の隊員達が領土領海を守り
スクランブル発進を繰り返し
領空侵犯にも対応している
当たり前にそんなニュースを
毎日聞き流しているけれど
今この瞬間も職務遂行中である事などは
いつも気にしていない
戦闘訓練を繰り返し
その訓練自体に反対する国民もいて
誰もが防衛任務を放棄すると
他国軍はどんな選択をするだろうか
米国軍はどうするだろうか
平和とは種をまけば
いつの間にか育つ木々のように
自然の流れに沿って
我々を護ってはくれない
多くの人達が経験する
受験勉強のような積み重ねが大切で
その思いがどんなに清く正しく美しくとも
不合格になる現実のように
平和とは無条件に
約束されたものではない
常に意識的な努力が必要で
なおかつ他国のと信頼を構築し
お互いの軍隊が
自国軍の抑止になるしか
戦争は止められない
軍隊のコントロールを
政府が失っても他国軍との関係で
クーデターという形に収まる
その暴発が他国人へと危害を加えると
その軍隊は自国民のみならず
他国からもテロリスト扱いになるから
軍事力によって
実行支配を試みる時さえ
国境線は越えないし
他国軍が抑止力になり超えさせない
近隣の国々の政府関係者は
およそ理性的に平和世界を構築しようと
心を一つにしているが
自国民全員が理性的かと言えばNOだ
我が国でも
自衛隊と同盟国軍との演習に
反対する国民もいて
反対運動どころか近頃では
妨害行為にまで発展し
そんな貶められた自衛隊員に
憧れるような子供たちは
この先現れなくなるかもしれない
義務教育での道徳教育と
自衛隊の戦闘訓練は共存出来るのか
消防隊員や海上保安員などの
厳しい訓練は人命救助なのだから
間違いなく一致するが
自衛隊の戦闘訓練や警察官の射撃訓練などは
この時代の道徳感情に
どのように受け取られるのだろう
我が国では死刑制度を採用し
裁判官には命を奪う決定権が与えられ
法務大臣の命令によって
刑務官はその命を断つ行動を実行する
幼かった子どもたちが
この現実を知るのはいつなのだろうか
食卓に並ぶ肉料理にしても
食肉加工される前に
その命が奪われている
命とは何よりも
大切なものだと教わり
人から動物に至るまで
すべての命は尊い
その教育の成果が
今日の我が国の平和に寄与し
戦時中の学徒訓練のように
清廉潔白な若者達が育てられたが
社会に出れば
人命すら奪い兼ねない
無理難題を押し付けられて
安心感を奪われ
今や子供を持たない選択をする
若者で溢れている
未来への不安や
経済的な問題だけでは無く
義務教育では教わらない
鬼畜のような人間の本性を
目の当たりにして
もはやこの世に生まれる事が
不幸のように感じ
我が子を守る為に生まないという
選択をするのだとすると
あの戦争で国の為に
命を賭して戦い
散って行った軍人達の
悲壮な覚悟の中に見出した
未来への希望さえ
儚く消えてしまう事になる
今や我が国は
戦時中の鬼畜米英よりも恐ろしい
自国の鬼畜が振り撒く不安感と
テクノロジーのもたらす快楽によって
少子化に歯止めがかからず
自滅の道を歩んでいる
この現状を含めて
祖父の戦争犯罪について
自分に責任があるのか問い直すと
無意識に今を生きているすべての人々は
その罪を認めている気もする
他者の命を奪った者は
子々孫々に至るまで
その罪を無意識に宿し続け
その罪悪感が何となくの雰囲気として
80年後のこの時代を生きる人々の
心の中で育ち
その行き着いた先が
現状の少子化なのかもしれない
幼い頃に植え付けられた
清廉潔白な道徳心が
戦争を犯罪視してしまい
自身の血族をも許さないのなら
我が国はこのまま
滅びの道を歩むしかない
しかし目に映る現実の醜さは
必要不可欠な要素をも含んでいる
理想と現実の間で揺れ動く
その気持ちはおそらく誰もが持っている
たとえば近しい誰かが殺人を犯してまでも
自分を守ってくれたとしたら
どんな感情を抱くだろうか
祖父は私が生まれた時に
喜んでくれたらしい
その笑顔は戦地で戦い
平和を齎してくれた祖父への
恩返しとも言える母の出産を
心の底から喜び
嬉しかったからに違いなく
今はもう亡くなってしまった
その祖父に対して
今自分は何が出来るだろうと考えると
もしも戦地で罪を犯していたなら
その罪を共に背負う覚悟などは無いが
ただそうまでして与えられた
この人生を全うしたいとは思う
その気持ちに嘘は無いが
それが何の役に立つかは分からない
多くの軍人達が
命を賭して守り抜いた国で
後の世に生まれ
平和を享受した我々が
闘う相手を失い共食いの果てに
滅びへの道を受け容れようとしている
この少子化という現実
それはもう悲劇だ
少子化という間接的な
集団自殺によって
命がけで守り抜いた祖国が滅びる
散っていった英霊達にとって
これ以上に重い罰があるだろうか