今年最後の、多摩市・カナメさんからのリクエストはこの曲ーー

 

河合奈保子『ラブレター』をお送りしました。
「四〇年遅れの推し活」を始めて初めての年の瀬ですので、それ的なご挨拶をしておきたいと思います。
ブロガーとしては、転機の年になりました。
なぜ、いま、河合奈保子なのか? それについて二つの目線で説明しようと思います。
一つは、「歴史的目線」です。この現在に、笠置シヅ子に注目し関心を寄せるようなものです。朝ドラという社会的メディアによる社会的共有体験か、ユーチューブという超パーソナルなメディアによる超個人的体験か、そのきっかけの違いはありますが。
現代のワタシの眼で見ても、現役当時の彼女はルックス面でかわいらしく美しく、スタイルでは絶妙にふくよかで悩ましい。歌がまた超素晴らしい。歌唱力において卓越しているのは云うまでもありませんが、なんと云っても歌声がホントにかわいらしくって。これまで沢山のアイドルを好きになってきましたが、彼女たちはもちろんかわいいのですが、それはあくまでビジュアルが大前提。(外見的に)かわいいあの娘が歌うから、かわいい歌になる。それが河合奈保子は歌だけ、音声だけで成立してしまう。ほんの一例をあげれば「ためらい・ライライ・ラブレター」の一節、このちょっと鼻にかかった歌声の、もうかわいらしいこと!
スマホから流れる彼女の歌声を聴いてるだけで「キュンキュン」してしまう。これまで沢山のアイドルを好きになってきましたが、こんな経験は初めてです。そして驚くべきことに、この歌声は彼女の全歌手人生を通じて、ラストシングルに至るまで、維持されるのです。
「二次元」とはまた違う、時を隔てたアイドルライフ=推し活です。

二つ目は、「青春の追憶と悔恨」です。
河合奈保子を「歴史上」の歌手と呼ぶには、まだ、やや語弊があるでしょう。ちょっとだけ年上とは云え、ワタシとはほぼ同年代。彼女の現役時代、ワタシも青春期にあって、同じ時代を過ごし、彼女のことはオンタイムで記憶しています。その点は、笠置シヅ子とは異なります。
どころか、ワタシにとっては「アイドル原体験」であり、「ファン」でもありました。レコードも買わない、そう名乗るのもおこまがましい、ゆる~い、ゆる~いファンでしたけど。

82年、ワタシの人生に平井和正という作家、次元の異なる「アイドル」が現われ、ワタシの全ての関心を、情熱を、愛を、もっていかれました(苦笑)。ワタシは薄情にも、奈保子さんへのそれらを失くしてしまったのです。
中島みゆきの「化粧」ですよ。バカだね~ バカだね~ バカだね~ ワタシ~♪ ですよ。
平井和正に心酔したことを後悔はしていません。「人格者」とはお世辞にも云えない、わんぱく小僧がそのまま大人になったような、稚気テンコ盛り、それでも愛さずにはいられない、魅力あふれる作家です。あの方の遺した作品、あの方との関りを通して経験したことは、ワタシの宝物です。でもさぁ、自分のエネルギーを全部そっちに注ぐことはなかったよな? 一~二割でいいから、奈保子のために残しておけよと。そうすりゃ、いま、こんな想いを味わうことはなかっただろうに。

気がついたら、彼女は結婚しており、気がついたら、彼女は芸能界を去っており、さらにそのことに、さしたる感慨も湧かなかったのです……。なんということでしょう。
ワタシはいまになって、この歳になって、「四〇年遅れの推し活」を始めて、初めてオリコン一位を獲得した『デビュー』を、河合奈保子自身の作曲による名曲『ハーフムーン・セレナーデ』を知りました。何度でも云いますが、彼女の現役時代のワタシのファン歴など、キャリアのうちには入りません。ワタシは四〇年遅れのにわか奈保子です。

彼女の生のステージをこの眼で見たかった。ひと言でいいから、握手をして言葉を交わしたかった。結婚報道には「おめでとう」と云いながら泣きたかった――。いまは、そう思います。強く、強く。
その悔恨の念が、いまの活動に駆り立てる原動力にはなっていますね。
無為に過ごした時間の、取り返しはつきません。それでも、いまからでもやれることはある、その思いです。

けれども一方で、こうも思うのです。
彼女の現役時代、仮にいま程の熱量でもって、奈保子さんの追っかけ、いまで云う「推し活」をしていたら、どうなっていたことやらと――?
平井和正の推し活では、やらかしましたからねえ、色々と(汗)。ワタシも若かったんですよ。
ファン同士のトラブルは必至、もしご本人に接する機会でもあろうものなら、奈保子さんとの関係も、不幸なことになりかねなかったと思います……。

もしかしたら、奈保子さんには超強力な守護神さまがついていて、ワタシは遠避けられたのかもしれません。
ワタシもこの歳になって、いい加減に丸くもなって、ようやく奈保子さんの守護神さまの、御許しが出たのかも? けっこう本気でそう思っています。

そんな超強力な守護神さまがいて、NHKホールではなにをやっていた? と、ツッコまれるでしょうか。
ワタシは、加護(まも)られていた、と思いますよ。
なにしろ、高さ四メートルの迫り(せり、舞台の昇降装置を設置した穴)から彼女が落下したとき、そこにたまたま作業中の大道具スタッフがいて、受け止めてもらえたというですから!? その(不幸中の)幸運がなければ、一生車いすでおかしくなかったし、最悪夭折のアイドルになっていたかもしれません。
「復帰できる、ギリギリの試練」を彼女は与えられたのだと思っています。なんのために? それについての愚見は、また機会をあらためてお話しすることにしましょう。

まさにそれをテーマにした『「スマイル・フォー・ミー」創作ノート』は絶賛苦戦中です。筆は進む。でも、進むべき方向に進まず、「NG」の連続です。こんな苦労をするのはわかってたし、こんな苦労をしたくなかったから、「特報スポット風シーンの断片」にするつもりだったんですが……。
これについては、もうどんな予告もお約束もしません。それでも、書きたいとという気持ちだけはあります。

来年はいよいよ『「スマイル・フォー・ミー』(6月1日)、『ムーンライト・キッス』(9月1日)リリースの年(――の43周年)ですからね。来年中には、なんとか書き上げたいと思っております。

それではみなさま、どうぞよいお年をお迎えください。引き続き(推し活者の合言葉)うちの奈保子をよろしくお願いします。