――「対義語・反対語辞典オンライン」より
https://taigigo.jitenon.jp/word/p9635


結論はここに出ています。
「ハンドル(ネーム)は匿名か?」問題については、二十年近く前からいつか書きたいと思い、幾度となく考え続けてきましたが、何のことはない。馬鹿の考えなんとやらです。
しかし一方で、「匿名」の意味は次のように定義されています。

 

匿名(とくめい) の意味
自分の名前を隠して知らせないこと。また、本名を隠してペンネームなどの別名をつかうこと。「―で投書する」「―批評」

――「goo辞書」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8C%BF%E5%90%8D/


「夢枕獏」、「優香」、「獣神サンダー・ライガー」……これらの名前を「匿名」と呼ぶことには違和感を覚えます。ワタシが長年使用し、名乗り続けている「カナメ」しかりです。辞書の記述そのものが、日常用いられる言葉の意味とズレてやしませんか?(事実、「対義語」とは定義の矛盾が生じています)とは思います。これについては「正しい日本語」を決める先生方におまかせするしかありません。である以上、ワタシがこれから述べることにも、多少の意義はあるでしょう。

ワタシは「匿名」でモノを云ったことはない。そう云ったとしましょう。
――「カナメ」だって「匿名」じゃないかwww
そう返されることは有り得ます。必ずそう返されると云ってもいい。
確かに間違ってはいません。なにしろ辞書にそう書かれているのですから。でも、なんかモヤモヤしませんか?
その理由は、相手の云わんとする真意、ニュアンスを当人も理解していながら、相手に反駁するために辞書上の定義を盾にとった詭弁、屁理屈を弄しているからです。

ぼくは夢枕獏です。わたしは優香よ。おれは獣神サンダー・ライガーだ。それと同じくらい、ワタシは「カナメ」なのです。それがネットという舞台における、ワタシの源氏名です。彼らにそれぞれのペンネーム、芸名、リングネームがあるように。
戸籍上の実名(本名)など名乗ったところで、かえって一般にはわからない。何者であるかを隠すためでなく、むしろそれを示すための名前=IDです。「匿名」呼ばわりなんて、失礼しちゃうわです。

「ウルフ会」は「ペンネーム禁止」でした。機関誌はもちろん会員の投稿も郵送でやり取りしていた、昭和の時代のファンクラブで定められたルールです。これはハッキリ「実名主義」であって、わかりやすい。

 


では、ネットにおける「匿名禁止」は、どう解釈すべきでしょうか。それは明らかに「実名主義」ではないはずです。そもそも、ネットで「実名」を名乗ることに、さほどの意味はありません。実際「カナメ」はワタシの実名(本名)のファーストネーム(カタカナ表記)ですが、ワタシの戸籍上のフルネームが仮に「大木 要」であったとして、そしてそう名乗ったとして、そのことを自ら証明するのも、他人が裏を取るのも至難です。
※元宝塚スター・凰稀かなめさんから拝借。

実社会では無名の一般人でしかないワタシが、ハンドルを名乗ろうが実名を晒そうが、どこのどいつかも知れぬ点で大差ありません。よしんば実名を名乗ったところで、それはワタシの実社会の身分・素性とは切り離されており、それを明かすものではありません。漢字表記の苗字と名前の組み合わせで、なんとなく日本人の本名っぽいと感じてもらえる、それだけ。それが巷間よく云われる「自分の発言に責任をもつ」根拠になるとは、ワタシには思えません。
名前が責任の所在を担保するのは、あくまで「顔見知り」が前提である実社会の法則です。B組の山田、一丁目の鈴木と云えば、それはリアルの個人と直結する。経理課の佐藤がその件を承ります――と云えば、リアルの佐藤さんに責任が帰属するわけです。ネットはこれに当てはまりません。基本顔も知らぬネットの個人が、実名に顔写真まで添えてアップしたとて、それが偽り、フェイクでないと確かめる術すらないのです。

実社会は顔も名前も晒す代わりに、閉じた世界です。学校・職場にせよ、地域にせよ、そこでのことはそこの人にしか見えない、知りようがない。だから、顔も名前も晒さざるを得ない(そうしなければ生活が成り立ちません)と同時に、安心して晒すこともできるわけです。
ネットはここが違います。たとえ「平井和正ファン掲示板」であっても、そこが公開の場であれば、見ているのは関係者である平井和正ファンだけに限られません。そこでどこまで「自分に関する情報」をオープンにするか、慎重になってなり過ぎることはないはずです。
実名や顔写真は、それが他人には「本物」であるか知りようがなく、さしたる価値をもちませんが、そのくせリアルの「知人」にはハッキリそうと知れてしまい、そのリスクは計り知れません。自分に何の後ろ暗いところもないのならできるはずだと考えるとすれば、あまりにも能天気に過ぎると云わざるを得ません。

ネットにおける「匿名禁止」が求めているのは、実社会の身分証明ではありません。実名であれハンドルであれ、「個性」ある固有の名前によって、個人を特定、識別できることであるはずです。ハンドルネーム(ペンネーム)は「可」、「カナメ」はオーケーなのです。その場に同じハンドルネームの別人がたまたま居合わせたら、カナメセカンド、三代目カナメなどとちょい足しするなり、便宜的に替えればいい。
逆に云えば、そこを秘匿するための無個性、「名無し」やら「匿名希望」みたいな類は認めない。あなたの発した個々の発言があなたの発言であることを判るように紐付ける、マトモな「名前」を名乗ってください。――という話です。戸籍上の実名であるなしを問うているわけではありません。ここまでキチンと言葉にすると、一見しち面倒臭く思えますが、云わんとするニュアンスそのものは、中学生でも一瞬でピンと来るはずです。電子掲示板などの、交流、ひと付き合いを重んじる場においては、意見だけ寄こすなんて水臭い真似はよしてよということです。

それでも前述のように、「匿名」の辞書上の意味が、ああ書かれている以上、不用意に使えば混乱を招く――ぶっちゃけ、屁理屈で返されてしまいかねません。言葉を使う側が、用心するほかはないでしょう。
「匿名」ではなく「無記名」という単語を使う。
――ワタシは「無記名」でモノを云ったことはない。
――「無記名」の投稿はお控えください。

そう云っておくのが、とりあえず一番簡単ではないでしょうか。
以上、構想二十年の思うところを述べてみました。今後折に触れココをリンクし、注釈として使用する機会もあるでしょう。引き続き「匿名論(2)」のほうも、どうぞお愉しみください。

 


2022.09.18 初出
2022.09.21 改題・大幅変更

2022.09.23 加筆・一部変更