少子化対策はお金なの? | かのっちのブログ

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エッセイのように、散文のように

 少子化対策、少子化対策という言葉だけがどんどん突っ走っている。それに向けての国の対策は、お金を注ぎ込むことになるようだ。「結婚したい」や「子どもが欲しい」という思いをいかに育てるのかという部分は置き去りのような気がする。

 子どもというのは、昔は授かりものであり、宝物であった。昔は5人きょうだいなどのたくさんの子どもが生まれていた。昔とは戦前から戦後にかけてということになるかもしれない。私の亡くなった父親は昭和3年生まれで、きょうだいは6人だった。農家ということもあり、子どもは家庭の戦力になっていた。何よりもたくさんいることで楽しかったのではないかと思っている。家庭はカツカツでも、子どもがいることによる楽しい時間を過ごせたのではないかと考える。それが「子どもは宝物」という表現になっているような気がする。夕飯は子ども同士で取り合いになるかもしれないけど、それはそれで楽しい時間になったのだろう。出かけることも少なく、生活に追われる日常の中で、子どもたちの成長を見ていることが楽しみの一つになっていたのかもしれない。

 しかし、今の時代に子どもに求めることは何なのだろうか。子どもがいることによって楽しいとか、子どもがいることによってこんな良いことがあるなどということを肌に感じれるのだろうか。養育費が嵩む、幼稚園や保育園を探すのにも苦労する、受験に追われる、大学までの教育費がかかるなどの親になってからの負担が大きくなっている。何よりも子どもと一緒にいることがこんなにも楽しいし、素晴らしいことであると、思うかどうかということになるだろう。それを感じられるようなイメージを若い人たちに与えることが一番重要な気がする。それができないのはなぜか。ある面で自分を見ていることもあるかもしれない。自身の子ども時代のイメージ、負担、親との関係などが、子どもを育てることにブレーキを掛けていることもあるだろう。

 つまりは子どもがいることの素晴らしさを如何に育てていくのかが重要になる。お金をあげますから頑張ってくださいではないのだ。出産給付金を上げるとか、高校までの医療費を無償にするとか、そういう問題では無いように思う。