あき竹城さんが他界した。山形県出身の数少ない女優さんである。
山形県出身の私は小さい頃から「山形出身の芸能人ていないなあ」と思っていた。他の県出身の方は多いように思っていた。特に、東北地方では演歌歌手を輩出することが多く、そんな中でも山形県は少ないように感じていた。
そんな中で「あき竹城」さんがテレビに出るようになっていく。嬉しかったのと、なんか違うと思うことも多かった。テレビに出だした頃は、「地方から出てきたホステス」とか、「パッとしない地方出の女」という感じの役が多かったような気がする。そして、その地方というものが、山形弁を使うことによって「山形県」であることを伝えていた。それが何となく「嫌だな」と感じさせていた。そう思ったのも、自身が若かったからかもしれない。
それが歳を取るにしたがって、変わらなく山形弁を使ってテレビに姿を見せるあき竹城さんを見ていて「いいな」と思えるようになってきた。私自身も山形弁を隠すところがあった。「東北の田舎から出てきた奴」と思われるのが嫌だったところもある。その気持ちはどんどん変化していく。山形が嫌で、捨てるような気持ちで山形を後にして生きてきたと思っていたのが、山形が恋してくて仕方がなくなるようになる。蔵王の山並み、月山の雪景色、葉山の雄大さ、そして目の前に広がる田んぼの広がりと冬枯れの姿。すべてが恋しくなる。そんな思いをあき竹城さんに重ねるようになっていたのかもしれない。
竹城さんがほっかぶりしてしている姿は、12月の寒い時期にほっかぶりして青菜(せいさい)を漬け込む祖母と母の姿そのものであった。あき竹城さんは山形そのものである。山形の良さを引き出してくれていたと思う。
合掌