高梨沙羅選手に思う | かのっちのブログ

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エッセイのように、散文のように

 もっと笑ってくれればいいのに。 そんな思いを高梨沙羅選手を見ていて思う。元来、スポーツは楽しんで行うものである。

彼女は子どもの頃からカメラに追われている。メディアはスポーツにもヒロインを求めていく。そのターゲットになったのが、もしかすると高梨沙羅なのかもしれない。子どもの頃からジャンプを飛び続け、10代で頭角を表した。時代としても、浅田真央の次のヒロインを求めていた頃でもあるので、メディアは冬になると高梨、高梨と叫び始めた。その間に、どんどん期待が彼女の両肩にのしかかり、メダル、メダルと騒がれるようになった気がする。

 子どもの頃から追っかけられたことから、高梨選手は沙羅「ちゃん」になり、日本全国の「娘」のように設定されたのかもしれない。みんなで沙羅「ちゃん」を応援しましょうと方向にいった。毎年のワールドカップのジャンでも沙羅「ちゃん」の結果が報道されて、「みんなの沙羅ちゃんが頑張っています」というメディアへの登場になったように思われる。そして、期待を大きく大きくしていった。

 それを如実に表したのが、前回の平昌冬季オリンピックのように思われる。このオリンピックで高梨選手は3位になり、銅メダルを獲得する。このとき世間はあまり騒がなかったような気がする。本来なら「すごい!すごい!」になるはずなのに、あまり騒がれなかった。その裏には多分「金メダル」への期待が大きすぎたような気がする。あの時も高梨選手は笑わなかった。満面の笑みを見せなかった。涙を流したことによって、その涙が「悔し涙」なのか、「嬉し涙」だったのかを我々は判断できず、どちらかというと前者の「悔し涙」と捉えてしまったような気がする。あの時、満面の笑みで飛び上がって喜んでくれれば、きっと大きな大きな祝福が彼女を取り囲んだのではないかと・・・。

 そして、その期待は北京まで持ち込まれたように思う。そして、4位となり、失格にもなった。彼女のオリンピックは涙、涙のオリンピックになった。団体混合の競技の後に彼女は選手村を後にしている。日本に帰国したような形跡はないので、次のワールドカップに向けて現地に入っているのかもしれない。どうせなら、大いにハメを外した生活をしていてほしい。彼女は世間的には優等生できているような気だする。一度、優等生を捨てて、ワルの生活をしてみるのもいい。ヒトが成長していく過程には、反抗期も必要なのである。多分、反抗期を持たないでメディアに見つかり、優等生を続けてきたのではないかと考えてしまう。思い切りハメを外して、ガハハハハと笑いながら、片手にアイスを持ちながら欧州の街を闊歩していてくれるといいなと思う。

 そうすると「ちゃん」が取れて、世間も「高梨選手」と見てくれるようになり、メディアは次のヒロインを求めるようになるだろう。そうしないと、次のヒロインを見つけるまで、まだまだ沙羅「ちゃん」を追っかけることになるだろう。そんなことを続けてはいけない。

 うまくいっても、うまくいかなくても、笑ってくれればいい。スポーツは楽しむためにあるんだから。