ライス大盛りできますか? 全然できますょ! でもっまぁ…取りあえずアフタヌーンteaをどぅぞ\(≧▽≦) -131ページ目

青春の跡。その3

3年になってから引退まで、凄まじい早さだった。

卒業までゎ途方もなく遅かったけど…

楽しかった。
それしかなかった。

扉を開けると大好きな仲間がいて、笑ってて、愉快だった。

それが、私の3年間。
幸せだった。

青春の跡。その2

『退部』

正直、2年になってからこの文字が頭から離れたことがなかった。
今まで、県内でも巧いと評判で、他校の先生方も一目を置いていたから、六本木ヒルズよりも高い私達のプライドゎベルリンの壁のように音を立てて崩れ落ちた。
私達の部活を引き継いだ先生ゎ、私が1年の時に教育実習で来ていた人で、面識ゎあった。

だけど、音大を出てるわりにゎ耳も使えないし、音感も悪いし、指揮も振れない人だった。

手探りで続けた2年目。

最悪のパフォーマンスしかできなかった。

それでも、隣りを見れば仲間がいた。
皆、精神的にギリギリのところを綱渡りしていたけれど、励まし合って、労りあって、だからこそ『退部』をしなかったんだ。

今になって集まると、決ってこの頃の話になる。
地獄だったね。などと笑い合う。
そして皆一様に『退部』を考えていたことを打ち明け合う。

『誰か1人辞めるって言ったら、私ゎ辞めた。』

口々に言う様が今も心に強く残る。

私達ゎ1人じゃないから、頑張れた。

たったそれだけの理由。

それでも私にとって青春を懸ける理由充分過ぎるほどだったょ。

青春の跡。

私ゎ高校時代、文化部に所属していた。
因みに吹奏楽でゎないのょ。

文化部と言うとかなり緩いイメージがあるかも知れないけど、めちゃめちゃ活動していた。
月曜日から土曜日まで練習して、場合によってゎ日曜日も練習をした。

1年間を通して出場する大会ゃフェスティバルがあって夏休みも返上して練習に励んだ。

1年の時ゎ県内でも指折りの強豪校で、誰もが認める実力があった。2、3年の先輩達ゎ14人という少ない部員の中(しかも、3年生ゎ2人)、前年度に全国大会まで出場した。
先輩達ゎ驚くほど巧かった。

そんな先輩達に憧れて、私達の学年ゎ13人入部した。3年間の間にゎ3人の退部者を出したが、10人の掛け替えのない仲間ができた。

私が2年になると、立て続けに1つ上の先輩が辞め、部長1人しか残らず、1年生も1人しか入部しなかった。
そして、不幸ゎ続くもので、今まで指導してくれていた実力のある先生が体調を崩したため辞めたのだ。

先輩と先生をなくし、私達ゎ一気に実力を落した。