今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -98ページ目

負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田 茂~

『NHK土曜ドラマ』

ども!TK89です。
昨日土曜日の夜、実は迷ってた。
「踊る大捜査線」を観るのか、「負けて、勝つ」を観るのか。

いつ頃からか日本史というものが好きになり、流行りにのった訳ではないが、戦国時代が一番好きで、城や城址を巡ったりするのも楽しい。そして、戦争。日清戦争、日露戦争、第一次大戦、満州事変、日中戦争、大東亜戦争。日本の世界に向けた戦いの歴史も好き。どうやら争いごとの歴史が好きなようだ。

そんなバックボーンもあり、選んだのはやっぱり、
$今日は何の日?【トリビアン】で雑学王
こちらのドラマ。

個人的思想として、戦争に負け、国が占領された時点で、敗戦国としての歴史は拭えなくて、ましてや、負けて、勝つという風には繋がらない。そういう思いがあるが故、逆に気になった。

そして観た感想。
もっとドロッとした感じなのかなとも思っていたが、案外アッサリしてて観やすい。アッサリしてる分、サラッと話が進んでしまうので、戦後敗戦国日本の感じというか、そういうものがちょっと軽くみえてしまうのは残念。戦後すぐの日本を見てきた訳ではないが。その中でも気にいったというか、気になったシーンがあった。

連合軍用の慰安施設。旧日本軍における「従軍慰安婦」に国家としての関与があったのか。
このドラマでは大蔵省が金の工面をして、国が用意した慰安パブで慰安婦たちが米兵と踊って遊んでいるというシーンがあった。

外務秘書官「柴田 達彦」と大蔵省の「池田 勇人」のやり取り。

納得いきませんね。なぜ国民はこうも簡単にアメリカを受け入れるのか不思議です(柴田)」
そこで知り合いの女性が米兵と楽しげに踊っている姿を目撃し、「日本をバカにする行為だ(柴田)」 と憤って止めに行こうとする柴田を池田が止める。

バカにしてるのはお前のほうだ!媚びてるんじゃない。勝手に戦争を始めて負けた、男の尻拭いをしてるのだ。女のほうが、よっぽど負けっぷりがよい!(池田)」そして池田は、その慰安婦に、最敬礼する。

このシーンがホント良かった。目に涙が浮かんだ。

そしてもうひとつ、マッカーサーに屈服して「俺たちにはなにもない(吉田)」と言って苦汁をなめる姿に涙する柴田。そんな柴田に喝を入れる吉田。

泣くな!日本の男は、顔で笑って心で泣くんだ。(吉田)」

ハイ、また泣いちゃいました。

結局、このドラマは面白いという結論。ハイ、来週も観たいです。「売国奴」と一部扱き下ろされている「吉田 茂」への興味もだいぶ上がりました。

その気持ちに併せて、この本も一度読んでみたいと。戦争に負けて、外交に勝つということだけど、現状こうですってのも知っておくと、さらに楽しめると思うから。

しっかし日本の教育は、もっと自国の歴史の伝えるべきだと思うな。当時勉強嫌いだった自分が言うのもなんだけどぉ~。

チャオ!

9月9日の名言

お前の道を進め、

人には勝手なことを言わせておけ。

ダンテ・アリギエーリ

今日という日【9月9日】

■アッティカ刑務所暴動

1971年9月9日。

アッティカ刑務所暴動」は、この日にアメリカ合衆国ニューヨーク州アッティカのアッティカ刑務所で発生した囚人の暴動。暴動の目的の一部は所内の生活状況の改善の要求。

当時、アッティカ刑務所では食堂と作業場に催涙ガスが取り付けられ、囚人への待遇は週1回のシャワーとトイレットペーパー1巻きが与えられるというものだった。また、囚人の内54%はアフリカ系アメリカ人、9%はプエルトリコ人だったのに対し、383人の所員は全員白人だった。刑務所内の状況に関するレポートによれば、看守は公然とした人種差別主義者であり、通称「ニガー・スティック」なる警棒で囚人を殴打していたという。

暴動の発生する前の月の8月21日、カリフォルニアのサン・クェンティン刑務所で服役していた、黒人で急進派の「ジョージ・ジャクソン」が武装した上で獄を試みて失敗し、警備員に射殺される事件が発生していた。これに呼応して、9月9日にアッティカ刑務所で暴動が発生した。このとき約2,200人いた囚人の内1,000人ほどが暴動に参加し、収容所を自分たちのコントロール下におき、所員33人を人質にとった。そのため、当局は囚人側と交渉を行うこととした。4日間の交渉が行われ、当局は囚人側の28の要求をのむことに同意したが、収容所で暴動を起こしたことに対する罪の完全な恩赦、もしくはアッティカ刑務所長の排除については認めようとしなかった。交渉は不調に終わり、当時の州知事「ネルソン・ロックフェラー」は武力による刑務所の制圧を州兵に命令した。これにより、少なくとも39人が死亡。内29人は囚人で、10人は所員、看守だった。

暴動発生から4年間に、62人の囚人が1,289件の訴因、42の起訴状で訴追された。また、州警官1人が、無謀な危険にさらしたとして訴追された。
囚人、および暴動の際に殺害された囚人の家族は、アッティカ刑務所暴動の間、およびその後、法執行官がアメリカ市民の権利を侵害したとして、ニューヨーク州を訴えた。それから27年後の2000年、ニューヨーク州は、1,200万ドルを支払うことで決着することに同意した。また、同州は2004年の秋に、殺害された刑務所の雇用者の家族に対して1,200万ドルの解決金を支払うことを認めた。