今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -99ページ目

9月8日の名言

学習を伴わない行動は

致命的である。

行動を伴わない学習は

無益である。

メリー・ビアード

今日という日【9月8日】

■サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約調印

1951年9月8日。

サンフランシスコ平和条約」は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約。

この条約の後文には「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の5ヶ国語のうち、ソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるためである。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む4ヶ国語のもの。
この条約によって正式に、連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認。国際法上ではこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ、ポツダム宣言の受諾を表明した1945年8月14日や玉音放送を実施した8月15日、降伏文書に署名した1945年9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。

日米安全保障条約」は、日本における安全保障のため、アメリカ合衆国が関与し、アメリカ軍を日本国内に駐留させることなどを定めた二国間条約。いわゆる旧日米安保条約と呼ばれるもの。1960年に日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が発効したことに伴い、失効。

日本の降伏以降は連合国軍(事実上アメリカ軍)に占領され、日本軍は解体された。冷戦による陣営対立が深まり、1950年6月25日には朝鮮戦争が勃発。日本駐留のアメリカ軍は朝鮮半島に移動し、警察予備隊が創設されるなど、日本の防衛・安全保障環境は不安定であった。朝鮮戦争が継続されるなか、日本は共産主義陣営を除いた諸国と講和する運びとなってきた。防衛・安全保障環境を憂えた日米両国は、日本の主権回復後もアメリカ軍が駐留することで、極東における安全保障環境を維持することとした。これにより、日本国との平和条約と同時に日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約が署名された。条約は前文と5条からなり、アメリカ軍が引き続き日本国内に駐留し続けることが骨子となっている。条約の期限は無く、駐留以外に援助可能性には触れているが、防衛義務は明言されていない。また、内乱対応への言及もあった。このため、防衛義務の明言や内乱条項の削除などを行なった日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が締結、1960年に発効。旧日米安保条約第四条および新日米安保条約第九条の定めにより、旧日米安保条約は1960年6月23日に失効。

日米安全保障条約」第一条「外国による武力侵攻」に関して、この時期の該当例は、韓国による竹島占領、ソ連による色丹島および歯舞諸島占領がある。いずれも当時、米国が日本の主権だと認めていた領土への外国の武力支配であったが、安保条約による米軍の援助はなかった。色丹島と竹島については、東京領事「ウィリアム・ターナー」は、1953年11月30日付で「リアンクール(竹島)論争に関するメモランダム」を本省に提出し、安保条約と 領土問題について触れている。ラスク書簡をもとに竹島に対する日本の主権を認めていながら、竹島問題にアメリカが介入して恨みを買うことを恐れていたターナーによると、竹島問題は、ソ連が占領した日本領の色丹島問題と似ている、という。アメリカは「色丹島が日本の主権に属する」と声明したが、日本はアメリカに対して「安保条約に基づく武力行使」を要請してこなかった。したがって竹島問題についても、「日本人が日米安保条約を呼び出すのではないかと過度に不安になる必要はない」と述べている。1957年、ソ連国境警備隊は歯舞諸島の貝殻島に上陸、実効支配したが、アメリカによる対抗措置はなく、ソ連の手に落ちた。

9月7日の名言

迷い、

夢見ることをはばかるな。

高い志向は

しばしば子どもじみた遊びの中に

あるのだ。

フリードリヒ・フォン・シラー