今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -97ページ目

今日という日【9月11日】

■東海豪雨

2000年9月11日。

東海豪雨」は、2000年9月11日~12日を中心を中心に愛知県名古屋市およびその周辺で起こった豪雨災害。「東海集中豪雨」とも言う。都市水害の恐怖を実感させる大きな被害で話題になった。

2000年9月7日頃から本州付近に前線が停滞しており、11日から12日にかけて、台風14号の東側を回る暖湿気流が前線に向かって流れ込んだため、前線の活動が活発となり、愛知、三重、岐阜県の東海地方を中心に記録的な大雨となった。11日夕方頃から、名古屋市をはじめとする東海地方を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600mm前後に上った。名古屋市では11日の日降水量が、平年の9月の月降水量の2倍となる428mmとなり、2日間の合計降水量が567mmに達した。このため、名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じたほか、中部地方太平洋側の広い範囲で浸水、河道護岸の損壊、崖崩れ、土石流などによる災害が発生。この災害により、愛知県名古屋市、一宮市、西春日井郡師勝町(現:北名古屋市)・西春町(現:北名古屋市)・清洲町(現:清須市)・西枇杷島町(現:清須市)・新川町(現:清須市)・豊山町、豊明市、半田市、刈谷市、大府市、岩倉市、東海市、知多郡美浜町・東浦町、海部郡甚目寺町(現:あま市)・大治町、北設楽郡稲武町(現:豊田市)、春日井市、岐阜県恵那郡上矢作町(現:恵那市)の21市町に災害救助法が適用された。
名古屋市周辺で最も浸水被害が激しかったのは、天白区野並地区で、天白川とその支流の藤川の堤防に囲まれた堤内地が水面より遥かに低い地形だったため、行き場を失った雨水が集中し、ポンプ場から天白川に排水した水が、そのまま藤川の支流の郷下川(ごうしたがわ)を逆流して、再度野並地区に流入するという悪循環を繰り返し、やがて地区の住宅の1階は完全に水没し、住居内での溺死者も発生した。ポンプ場も浸水して機能停止したため、水が引くまでに相当の時間を要することとなった。

消防庁によると、静岡、岐阜、愛知、三重の各県で10人が死亡し、全国で115人が重軽傷を負った。経済的被害は2,700億円を超え、1959年の伊勢湾台風以来の水害となった。

9月10日の名言

運の良い人々とは、

強い信念を維持し、

数々の犠牲を払い、

粘り強い努力を続けてきた

人々である。

ジェームズ・アレン

今日という日【9月10日】

■最後のギロチン

1977年9月10日。

ギロチン」は、2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間に寝かせた人の首を切断する斬首刑の執行装置。フランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用され、「断頭台」「断首台」とも呼ばれるが、これらはより正確に言えば斬首刑の執行の際に用いられる台全般を指し、「ギロチン」に限らない。また「ギロチン」のような断首装置の原型は13世紀のヨーロッパにはすでに存在した。

ギロチン」が登場するまで、フランスには160人の死刑執行人と、3,400人の助手が存在していた。これが、ギロチンの導入後は減少の一途を辿り、1870年11月には、1人の執行人と5人の助手が、フランス全土の処刑を一手に担うようになった。フランスでは総裁政府期から平時の死刑制度を廃止していたが、復古王政で再開された。

歴史的に処刑は公開される見せ物の要素があったが、第二次世界大戦直前の1939年まで、フランスでも「ギロチン」による公開処刑が行なわれていた。しかし人道意識の高まりから、その後は積極的に目立った場所を避けて刑務所の門前で早朝に実施するようになり、広場などで白昼堂々と行う事はなくなっていた。
1939年6月17日に、ドイツ出身の殺人犯「オイゲン・ヴァイトマン」の死刑執行が最後の公開処刑となった。この処刑は盗撮され、映画館で公開された。これに問題を感じた法務省は、以降の死刑執行を非公開に切り替える事になる。そのため、これがフランスにおいて唯一映像に記録された「ギロチン」による処刑映像となった。

ギロチン」は一見残酷なイメージだが、導入の経緯、および絞首刑との比較から、欧州ではむしろ人道的な死刑装置と位置づけられており、使用されなくなったのは比較的近年のこと。フランスで最後に「ギロチン」によって処刑されたのは、女性を殺害した罪に問われた、「ハミダ・ジャンドゥビ」というチュニジア人労働者であり、1977年9月10日にフランス最後の死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)である「マルセル・シュヴァリエ」によって刑が執行された。これがフランスで「ギロチン」が公式に使用された最後の例。

フランスは1981年9月に死刑制度自体が廃止された。