今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -70ページ目

今日という日【11月15日】

■かまぼこの日

1983年11月15日。

全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983年に制定。蒲鉾が初めて文献に登場したのが永久3年(1115年)の祝宴の膳の図に描かれていたものとされていることから、1115年の数字の並びから11月15日を記念日とした。

古くは材料を竹の棒に筒状に巻いて作った。その形が蒲(がま)の穂に似ていることから、「蒲鉾」と呼ばれるようになったとされる。この最初期の蒲鉾は現在のような海水魚ではなく、主に淡水魚のナマズを原料としていた。竹を抜き去ると現在の竹輪の形になる。後に板の上に成形した「板蒲鉾」が登場し、区別のために「竹輪蒲鉾」と呼び分けていたが、元祖の方は「蒲鉾」が脱落して単に「ちくわ」となり、板蒲鉾の方は逆に板が外れて「蒲鉾」になった。

平安時代の「類聚雑要抄」には「藤原 忠実」が永久3年(1115年)に転居祝いに宴会を開いた時の串を刺したかまぼこが載っている。これを確認できる最古の文献上のかまぼこであるとして、業界団体がその数字をとって11月15日を「蒲鉾の日」としている。

今日という日【11月14日】

■渋谷暴動事件

1971年11月14日。

渋谷暴動事件」は、1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキに呼応し渋谷、四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、革命的共産主義者同盟全国委員会中核派)の学生ら約400人が、渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶等で襲撃した暴動事件。
そして、中核派の学生らが、規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の「中村 恒雄」巡査を鉄パイプで殴打した後、「大坂 正明」が火炎瓶を投擲。中村巡査は翌15日午後9時25分に死亡。まだ21歳の若さだった。他3人が重傷を負った。

警察はこの事件のデモ隊を指揮した「星野 文昭」「荒川 碩哉」「奥深山 幸男」「大坂 正明」ら中核派の学生7人を犯人と特定し、その内大坂以外の星野、荒川、奥深山ら6人が1975年8月までに逮捕、起訴された。
1987年7月に星野に無期懲役(徳島刑務所在監。無関係であると主張し再審請求中)、荒川に懲役13年が確定した(荒川は2000年7月満期出所)。大坂のみが2012年11月現在も逃走中で、殺人罪、放火、傷害罪、凶器準備集合罪、公務執行妨害容疑で指名手配されている。1971年の事件の国内逃亡犯に対して公訴時効(殺人罪は当時15年)が成立せずに指名手配されているのは、共犯の奥深山が一審懲役15年で控訴中の1981年に精神疾患のために公判停止になっており、共犯者の公判中を理由に刑事訴訟法254条2項の規定で公訴時効が停止しているため。

奥深山の支援者などの弁護側は公判停止の長期化は迅速な裁判を侵害しているとして免訴を求めているが、検察側は病状安定後の公判再開を目指している。なお奥深山は2010年1月に「病状安定」の鑑定結果が出ており、今後における公判再開の見込みが報じられている。

今日という日【11月13日】

■ヤンバルクイナ命名

1981年11月13日。

沖縄本島の与那覇岳で日本において約100年ぶりに新種の鳥が発見され、この日、「ヤンバルクイナ」と命名された。

和名は沖縄本島北部をヤンバル(山原)と呼ぶことに由来する。新種の記載に先立って、1981年に現地で捕獲調査を実施した山階鳥類研究所の調査チームの間では、和名として「ヤンバルクイナ」か「ヤンバルフミル(フミルはバンの地方名)」にしようという話し合いがなされていた。当時は「ヤンバル」という名前は一般的でない名称であったため、山階鳥類研究所の内部では「オキナワクイナ」という名称が相応しいという意見もあったが、「鳥の保護には地元の理解と協力が不可欠なので、それにはより具体的なヤンバルを名前に入れるのがよい」という判断から、最終的に「ヤンバルクイナ」という和名がつけられた。これ以前にも「ヤンバル」を冠した生物名称はあったが、全国的に広く知られるようになったのは本種の命名以来のことであった。

ヤンバルクイナ」の発見は、沖縄においても大きく取り上げられ、その目立つ姿も手伝って話題となった。1987年の沖縄・海邦国体ではマスコットキャラクターとして用いられた。また、これに前後して「ヤンバルテナガコガネ」が発見されたこともあり、沖縄はいわば新種ブームのようなものが起こるに至った。当時全日本ライトフライ級のプロボクサーであった「渡嘉敷 勝男」は所属ジムの会長から「ヤンバルクイナ」の通称をつけられるなど、多くの場所で本種の名前が使用された。

この「発見」の後になって、本種が以前から、地元の人々にアガチ、アガチャ(「慌て者」の意)、ヤマドゥイ(「山の鳥」の意)等の名で知られていたことが広く知られるようになった。また、鳥声録音家、野鳥愛好家、写真家ほかによって録音、羽毛の拾得、生態写真の撮影等がなされていたことも判明した