今日という日【9月19日】
■アイスマン発見
1991年9月19日。
アルプスのイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷の氷河で、約5,300年前の男性のミイラが発見された。このミイラの愛称が「アイスマン」。
発見当時、発見された場所にちなんでオーストリアの新聞記者が「エッツィ」と命名した。のちに発見場所がわずかに国境を越えていたことが判明し、イタリアに引き渡され、ボルツァーノ県立考古学博物館で公開されている。現在もイタリアの南チロル考古学研究所で調査がつづけられている。
また同研究所は、発見当時の氷の中の「アイスマン」の精巧なレプリカの他、所持品のレプリカと研究の成果を合わせて、世界各国で「氷の中からやってきた男」と題して展示会を開いている。
2005年4月には、愛知県で開催された「愛・地球博」にちなみ、「アイスマン展」と題した展示会が名古屋の名古屋ボストン美術館と豊橋の自然史博物館で催された。
これまで「アイスマン」に関わった7人の法医学者、第一発見者夫婦のうち夫、ジャーナリストら関係各者が相次いで死亡した。例えば、法医学者が偶発的な事故死を遂げ、関係者の一人がその葬儀に出席する際の交通事故で死亡し、更に発見者夫婦の夫も死亡している。「ミイラの呪いでは?」と話題を寄せているが、発掘には数百人が関わってきたこと、「アイスマン」発見からすでに17年が経過していることを考えれば、このうち何人かがすでに亡くなっていることは特に驚くことではないとの指摘もある。
森、道、市場
『Day Trip』
ども!TK89です。
今日は、友人の知り合いのショップが出店しているというイベントに行ってきた。
愛知県は三ヶ根山の麓のとある森の中、忘れられた集落、人が離れボロボロになってしまった木造の家屋などを利用して、色んなショップが集まり、自然と人に触れるイベント。後援に「TOWER RECORDS」も入っててライブなんかもやってた。
こんな森の中を歩いて行き、その先にショップやライブ会場がある感じ。晴れてくれたおかげで暑かったし、イイ運動になった。
昼過ぎだったから、結局食い気。これはアボカド丼。
これはとんちゃん丼。両方とも綺麗さっぱり美味しく頂いた。このとんちゃん丼は、元々この地でジンギスカンの店としてやってる「山麓園」の賄い飯として売られてた。
この「山麓園」という店は昭和34年から営業しており、現在は廃止されている三ヶ根山ロープウェイ山麓駅のとなりで森の中、モンゴルのパオを模した小屋を点在させて営業をしてたそうな。今は醸造樽を使った小屋などでバーベキュー感覚で食事を楽しめる店となってる。
樽小屋の前で記念撮影。また、友人集めてジンギスカンを楽しみたい。
緑に囲まれた中で、音楽や食事や雑貨など。結局買い物はしなかったけど、いいイベントだった。
今度はジンギスカンを食べに行こうっ!
チャオ!
今日という日【9月18日】
■カップヌードル発売
1971年9月18日。
日清食品株式会社が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売。
「カップヌードル」は世界初のカップ麺とされるロングセラー商品で、時代とともに食の多様化によってさまざまな風味の商品や、「ミニ」や「BIG」などの異なるサイズの商品も発売されている。熱湯を注いで3分で食べられるよう、麺は細く扁平で、紙製(過去は発砲スチロール製)のカップの中には粉末スープとフリーズドライ化された具材が入っている。最も人気があるのは、オリジナルのしょうゆ味で、次いでカレー味の人気が高い。
2005年時点では世界80ヶ国で消費され、派生商品も含めて発売以降累計約290億食が製造、消費されている。
表記は、日本国内向けは「CUP NOODLE」で、日本国外では「CUP NOODLES」である。また、当初アメリカで発売を開始した際には、「CUP OF NOODLES」の意味の「CUP O'NOODLES」の名称だった。
元々は1966年に「チキンラーメン」の日本国外進出を目指してアメリカ人バイヤーに売り込んだ際、手近に箸や丼が無いこれらの人々が砕いた「チキンラーメン」を紙コップに入れ、これに熱湯を注いでフォークで食べた事がカップ麺「カップヌードル」発案のヒントになっているという。当時の紙コップはロウを使ったパラフィン紙を利用していたため、売り込みから戻った安藤百福社長はホテル内で試したが「紙コップ臭くて美味しく食べられなかった」と後に述べている。この事から、後に環境ホルモン報道問題による影響から、他社のカップ麺容器が紙コップ製に置き換えられた時期でも、「カップラーメン」のカップ素材は発泡スチロール製のままで変更されなかった。
また、日本向け製品で用いられているアルミ箔と紙を貼り合わせた構造の密封性の高いフタは、安藤百福社長がアメリカから帰国する際の機内食で出されたマカダミアナッツの密封パックで使われていたものをヒントにしている。安藤社長ははこのパックを開封したものに加え、未開封のものを別に1つもらって持ち帰り、容器の開発時の資料とした。その現物は今も日清食品で大切に保管されている。



