今日という日【9月23日】
■任天堂創立
1889年9月23日。
「任天堂株式会社」は、山内房治郎によって「任天堂骨牌」として創業。当時の主な事業は花札の製造で、1902年には日本で初めてトランプの製造も行った。第二次世界大戦前、日本専売公社(現:JT)と手を組み、タバコと同じ箱のサイズである花札などのカードゲームを全国販売した。
1980年には「ゲーム&ウオッチ」を発売し、大ヒット、1983年には「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を発売し、爆発的に普及させた。本製品で「任天堂」は、他社からのゲームソフト製造・販売に対するライセンス制度を導入し、これにより「任天堂」は市場をほぼ独占し、今日のテレビゲーム産業の基礎を作った。また、ゲーム機のハードウェア、ソフトウェアを製造販売する大手企業の一つとして数えられるようになった。今日でもシェアは世界トップである。
その後1989年には携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売し、翌1990年には「スーパーファミコン」を発売。いづれも成功を収めた。
やがて「ファミコン」「Nintendo」という名称自体が様々な物の代名詞として使われるようにまでなった。日本では、「ファミコン」という言葉が家庭用ゲーム機全般を示すこともあった。また、海外、特に北米では「Nintendo」という言葉はビデオゲーム一般の俗称として用いられた(海外での「ファミコン」は、「Nindendo Entertainment System(略称NESまたはNintendo)と称して発売されたことによる)。1990年代ごろからは「Nintendo」の示す意味は「仮想現実の」などと拡大解釈されるようになった。湾岸戦争が勃発した際、TV局はビデオカメラを搭載したミサイルが標的に正確に命中していくシーンのことを、テレビゲームをなぞらえて「Nintendo War」と称して報道した。内視鏡手術のことを俗に「Nintendo Operation」と呼ぶこともある。
今日という日【9月22日】
■日本初の孤児院「孤児教育会」創設
1887年9月22日。
「石井十次(いしいじゅうじ)」が日本初の孤児院「孤児教育界(後の岡山孤児院)」を岡山市内に創設。
「石井十次」は、日本で最初に孤児院を創設した人物で、「児童福祉の父」と言われる。「アリス・ぺティ・アダムス」「留岡幸助」「山室軍平」とともに「岡山四聖人」と称される。
「石井十次」は岡山県で医師を目指していたがそれを中断し、日本で最初の孤児院、「岡山孤児院」を創設して生涯を孤児救済に捧げた。夫に先立たれた母親から1人の男児を引き取ったことがきっかけである。
「岡山孤児院」はすでに存在しないが、「石井記念友愛社(宮崎県)」と「石井記念愛染園(大阪府)」が後を引き継ぎ、各種の福祉活動を行っている。
1990年に「石井十次顕彰会(宮崎県)」により「石井十次賞」が創設され、毎年、「石井十次」の精神を継承し福祉活動に尽力している団体にこの賞が贈られている。


