今日という日【9月25日】
■10円カレー
1973年9月25日。
1971年の放火によって焼失していた日比谷公園内のレストラン「松本楼」が再建した。
「松本楼」は東京都千代田区の日比谷公園内にある洋風レストランで、1903年6月1日に「日比谷松本楼」としてオープンした。当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まり、1906年秋には東京料理店番付で西の関脇に押し上げられたほどだった。
1923年9月に「関東大震災」により焼失。その後バラック住宅から復活し、その後「太平洋戦争」に突入するまで、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔になった。
しかし1942年に東京に空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年2月、遂に「松本楼」が海軍省の将校宿舎となり、終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続いた。1951年11月にようやく接収が解かれ、「松本楼」は再スタートを切った。
その後も日比谷公園で営業を続けていたが、1971年11月19日、沖縄返還協会反対デモが日比谷公園内で激化し、その中で左翼過激派学生の投じた火炎瓶が「松本楼」を直撃し、2代目建物も焼失の憂き目にあう。2度目の焼失では、警備員1人が犠牲になるなど被害も大きかった。歴史あるレストランが焼失したこの知らせに全国から再興の願いが集まり、3代目「松本楼」がオープンできた。
店側はこれに感謝の意を示す記念行事として始めたのが、「10円カレーセール」であった。通常は850円の「ハイカラビーフカレー」が、1973年以来、毎年9月25日に限り、先着1,500人に限り10円で振る舞われ、毎年この日には大勢の来客がある。この売上は「交通遺児育英会」や「日本ユニセフ協会」、1995年には「阪神淡路大震災」の義援金として寄付されている。
3代目建物には結婚披露宴会場、大小の宴会場やフランス料理コースの個室など、さまざまなニーズに応えた設備も登場し、2度の焼失に遭いながらも2003年には創業100年を迎え、現在に至っている。
今日という日【9月24日】
■本田技研工業設立
1948年9月24日。
「本田技研工業株式会社」は、日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカー。
自動車部品などを製造する「東海精機株式会社」を、創業者の「本田 宗一郎」が「株式会社豊田自動織機」に売却。その資金を元に、1946年、静岡県浜松市山下町に「本田技術研究所」として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年には自社設計第一号製品、A型自転車用補助動力エンジンを開発した。そして1948年に「本田技研工業株式会社」を設立。1949年に「藤沢 武夫」を経営全権として迎え、技術の「本田 宗一郎」と経営の「藤沢 武夫」による二人三脚の経営が始まった。
1963年には日本初のDOHCエンジン搭載の「T360」で四輪車業界に参入した。同年には、欧州ベルギーに二輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる、欧州圏での製品「スーパーカブ・C100」の現地生産も行った。
その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、IMAと言った高い技術開発力を示してきた。1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。
1982年には、日本の自動車メーカー初となるアメリカでの四輪車「アコード」の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な日本国外への展開を、時代に先駆けて行った。
現在は、オートバイ、自動車、汎用製品(太陽電池、耕うん機、芝刈機、除雪機、発電機、船外機など)の製造、販売を主業務としている。新規分野として、「ASIMO(アシモ)」のような二足歩行ロボットや、「Honda Jet」と呼ばれる小型ジェット機とターボファン式ジェットエンジンなどの開発を行っている。オートバイや小型汎用エンジンに関してはシェア世界一であり、世界中のほとんどの地域で販売している。自動車に関しては、2003年には日本での軽自動車を含めた販売台数で、初めてトヨタ自動車に次いで第2位になったが、日産自動車の業績回復により再び国内販売3位に後退した。2007年暦年ベースの国内販売台数ではスズキ、ダイハツ工業に次いで5位となったが、スズキ、ダイハツ、日産を追い越し再び2位へとなった。
