今日という日【10月2日】
■リットン報告書公表
1932年10月2日。
「リットン報告書」とは、「リットン調査団」により提出された報告書。国際連盟によって「満州事変」や「満州国」の調査を命ぜられたイギリスの「第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットン」を団長とする「国際連盟日支紛争調査委員会」より出された調査団の通称。
1931年、「南満州鉄道」が爆破される「柳条湖事件」が発生。翌年、関東軍は清朝最後の皇帝「溥儀」を執政として「満州国」を建国。同年3月、中華民国の提訴と日本の提案により連盟から「リットン卿」を団長とする調査団が派遣され、3ヶ月に渡り満州を調査、9月に報告書「リットン報告書」を提出した。
報告書では、中華民国と満洲国の実情を述べた後、下記のように論じている。
・柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。
・満州国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。
と、中華民国側の主張を支持しながらも、
・満州に日本が持つ権益、居住権、商権は尊重されるべきである。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力を行使している限り、平和は訪れない。
などの日本側への配慮も見られた。
満州事変を「内政干渉」ととしつつも日本にも一定の理解を示したこの報告により、イギリスやアメリカ、フランスやイタリアをはじめとする連盟各国は「和解の基礎が築かれた」と大きな期待をもった。
「リットン報告書」は「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、また、満州国の独立も自発的とはいえない」とした。しかし、「事変前の状態に戻ることは現実的でない」という日本の主張をとり入れ、日本の満州国における特殊権益を認め、日中間の新条約の締結を勧告した。この報告書をめぐり日中は対立したが連盟で採択されると、日本はすぐに国際連盟を脱退した。