こんな大人になりたくて
『愚痴日記』
ども!TK89です。
帰りの地下鉄に彼はいた。地下鉄を降り、家へ帰る道すがら、なんだか考えさせられた彼。
その彼の風貌は、一言古い言い方をすれば「ヤンキー」。ダボッとしたジャージを履いて、上はスカジャン。髪型はサイドをガッツリ刈り上げ、前髪はリーゼント風。襟足は肩下くらいでそこだけ金髪。愛知県の県庁所在地である名古屋で、ある意味こんなに気合の入った少年を見るとは思わなかった。
「おぉ、気合入ってんなぁ」なんて思いながら見てた。触るもの皆傷づけるような目つきとオーラを纏ってた。ギラギラしてる感じ。かくいう自分は、スーツを着ながら、今日も一日疲れましたよぉっておっさんオーラ。
いつからか、こんな大人になっちまって、働かざる者食うべからずってな感じで、組織の中でもがいてる。こんな生活をしたい訳じゃないのに、こんな生活を守るために、自分に嘘をつきながら、下げたくない頭を下げて、顔で笑って、心で泣いて。
俺、なにやってんだろうって、そんなギラギラした彼を見て、心の底から沸々と。そんなこと思いながらも、明日も朝起きて、スーツを着て、会社へ行くんだろう。スパッと切りかえられる勇気もなくなった。こんなこと書いてる時点で、どうかしてるな。
こんな大人になりたくて、こんな大人になるなんて。
帰りし、そんなこと思わせる少年との出会い。まぁ出会いって言っても、勝手に自分が思ってるだけか。iPodもそんな俺の気持ちを汲み取ってか、ミスチルの「雨のち晴れ」。
もうちょっと もうちょっと 頑張ってみるから
ねぇもっと ねぇもっと いい事があるかな
イメージはいつでも
雨のち晴れ いつの日にか 虹を渡ろう
今日という日【10月13日】
■経度0度決定
1884年10月13日。
アメリカ合衆国の提案で、「国際子午線会議」がワシントンD.C.で開かれた。フランスは中立国を基点とするよう主張したが、フランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、「グリニッジ天文台」を基点とする案が採用され「グリニッジ子午線」は国際的な「本初子午線」となった。
「グリニッジ子午線」または「本初子午線」とは「旧王立グリニッジ天文台」の跡地を通る子午線(経線)のことで、「本初」とは「最初」という意味であり、「国際子午線会議」から、この子午線が経度の基準である経度0°と定められている。
そもそも、「グリニッジ天文台」は子午線を決定するための観測のために設置された。初代台長「ジョン・フラムスティード」は「グリニッジ天文台」で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、「フラムスティード天球図譜」という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし1750年代、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。その後、鉄道網が整備されると国際列車の運行の際に全世界的に標準的な時刻と子午線が必要とされはじめた。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準(本初子午線)としていた。1871年に日本の本初子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。1886年7月13日に「グリニッジ子午線」を「本初子午線」として採用することが定められた。