今日という日【10月13日】
■経度0度決定
1884年10月13日。
アメリカ合衆国の提案で、「国際子午線会議」がワシントンD.C.で開かれた。フランスは中立国を基点とするよう主張したが、フランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、「グリニッジ天文台」を基点とする案が採用され「グリニッジ子午線」は国際的な「本初子午線」となった。
「グリニッジ子午線」または「本初子午線」とは「旧王立グリニッジ天文台」の跡地を通る子午線(経線)のことで、「本初」とは「最初」という意味であり、「国際子午線会議」から、この子午線が経度の基準である経度0°と定められている。
そもそも、「グリニッジ天文台」は子午線を決定するための観測のために設置された。初代台長「ジョン・フラムスティード」は「グリニッジ天文台」で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、「フラムスティード天球図譜」という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし1750年代、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。その後、鉄道網が整備されると国際列車の運行の際に全世界的に標準的な時刻と子午線が必要とされはじめた。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準(本初子午線)としていた。1871年に日本の本初子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。1886年7月13日に「グリニッジ子午線」を「本初子午線」として採用することが定められた。