今日という日【11月8日】
■日本初の南極観測隊出航
1956年11月8日。
南極観測船「宗谷」により、日本初の南極観測隊(南極地域観測予備隊)が南極に向けて東京港を出港した。
南極観測隊は、南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために日本が南極に派遣する調査隊。現在は海上自衛隊の保有する砕氷艦に乗船し、通常は日本(東京港)を11月14日に出発する。観測隊員は11月末に飛行機でオーストラリアへ渡り、現地で乗艦して昭和基地へ向かう。
2月1日に前年の越冬隊と新年の越冬隊が交代する。越冬しない夏隊は、前年の越冬隊と共に南極観測船で日本へ帰還する。この間に、越冬隊が1年間に使用する機材や燃料、食料などが昭和基地に運ばれる。補給はこの1回のみしか行われない。約60人で構成され、うち40人が夏隊・20人が冬隊。
初期のころはかなり厳しい生活を送っていたが、現在の昭和基地では日本とあまり変わらない生活ができるとされている。が、居住棟の割り当ては1人約13m²(4畳)の部屋1つで、バス・トイレは共同。床暖房が効いており室温は保たれている。公衆電話は管理棟にあるが、電話代は隊員が自費で払う。バーもあるが、バーテンダーは隊員が当番制で務め、客も日ごとに交代する。食事は調理師免許を持つ隊員の指導の下、各隊員が交代で作っている。冷凍技術の進歩により、食材の種類不足は解消されつつあるが、さすがに後半は生野菜・果物は不足する。
南極には風邪の病原体がいないため、隊員達はどんなに寒くても風邪をひかない。また、病原体や病原菌を外部から持ち込まないよう、隊員達は日本出発前に、風邪はもちろん水虫や虫歯に至るまで完全に治療しなければならない。
南極観測隊がダッチワイフを持っていったことはよく知られているが、実際には使われなかったという。ただ、このことから、一時期、ダッチワイフに「南極○号」の名前がついていた。
今日という日【11月7日】
■電力中央研究所発足
1951年11月7日。
戦後日本初、独自の研究組織を有する、公益法人では日本最大の民間シンクタンク「電力中央研究所」が発足した。
「電力中央研究所」は東京都千代田区大手町本部のほか、東京都狛江市、千葉県我孫子市、神奈川県横須賀市に研究拠点を置いている。経済・土木・建築・電気・原子力・機械・化学・物理・生物・環境・情報など、あらゆる分野の研究者を揃えており、大学の客員教授が多く在籍している。総勢は約800人、その内の約700人が研究員で、博士は約350人、残りのほとんどの研究員も修士の学位を有しており、他のシンクタンクより研究員の比率が高い。
電力会社の合同出資により運営されている為、電力会社のニーズに沿った研究開発を推進する一方で、公益法人として完全中立を堅持する体制、科学研究費補助金の交付対象である学術研究団体としての側面も併せもっている。
戦後、高度成長期には、電源の火主水従化、火力発電用燃料の油主炭従化、火力発電における原油生焚き、原子力発電の商業化、佐久間周波数変換所の設置など、電気事業の根幹にかかわる重要事項について、独自の研究成果に基づきシンクタンクとして提言してきた。オイルショックから現在に至る間には、電源のベストミックスの概念、火力発電用燃料の海外炭の導入による石炭回帰、エコキュートの開発を基にしたオール電化による二酸化炭素排出削減などを提言している。