今日という日【11月10日】
■ベルリンの壁崩壊
1989年11月10日。
1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で誤発表したことにより、「ベルリンの壁」が11月10日未明、東西ドイツ市民によって破壊され始めた。
「11月10日から、ベルリンの壁を除く国境通過点から出国のビザが大幅に緩和される」という政令が政府首脳部の審議を通過していた。この政令の内容を発表する東ドイツ政府のスポークスマンは、会議に出席しておらず内容をよく把握しないまま、現地時間19時頃から記者会見を始めてしまい「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表した。この記者会見の模様が、ニュース番組で生放送され東西ドイツ市民が半信半疑で壁周辺に集まりだした。
一方、国境警備隊は指令を受け取っておらず、報道も見ていなかったため対応できず、市内数ヵ所のゲート付近でいざこざが起き始めた。21時頃には東ベルリン側でゲートに詰めかける群衆が数万人に膨れ上がった。門を開けるよう警備隊に要求し、やがて「開けろ」コールが地鳴りのように響く状況となった。
膨れ上がった群衆に、さして多くはない国境警備隊は太刀打ちできず、11月9日23時台に群衆に屈し、ゲートが解放され、東西ベルリンの国境は解放された。
数時間後の11月10日未明になると、ハンマー、つるはし、建設機械が持ち出され、「ベルリン市民」は壁の破壊作業を始めた。東側から壁を壊していい旨の許可は一切出されていなかったが、数日後から東側によって正式に壁の撤去が始まり、東西通行の自由の便宜が計られるようになった。
こうして1961年8月13日に建設が始まった「ベルリンの壁」は、建設開始から28年後の1989年11月10日、ついに破壊された。「ベルリンの壁」は、「冷戦」「越えられない物」「変えられない物」の象徴だった。
「ベルリンの壁」が崩壊した当日、会期中だった西ドイツ国会にこのニュースがもたらされると、議員たちの間から自然発生的にドイツ国歌の斉唱が始まったという。