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「知性と感覚の螺旋」 

現在起業準備中(早く卒業するぞ!)

8年目の学びに突入した「ブレインジム」を始め、現在勉強中のマーケティングや、自己啓発、スポーツ(トレーニング等)をネタに、楽しく分かりやすくお伝えしていきます。

「僕はできる、いやもっとできる。偉大な人とまでは言わない。頼れる人位にはなれる。言わせるなよ、ここは通過点…」(「I am a HERO」福山 雅治)

 

 

 

 

最近ハマっている曲のオープニングです。まさに「認知的不協和」バリバリの曲ですね…

 

 

 

 

その曲の歌詞で「嫉妬こそ努力の根源さ」という一節があります。

 

 

 

 

 

 

以前の私は「嫉妬」に大変翻弄されていました。

 

 

 

 

自分に自信が持てず、モテたり、人気者だったり、目立っていたりする人を見ると、指を咥えて見ているしかない人間でした。

 

 

 

そして、その「劣等感」を刺激する人に対しては、攻撃的に接したり、関係を断ったりもしました。

 

 

 

勿論今でも100%克服できている訳ではないですし、時々感情を揺さぶられることもあります。

 

 

 

 

 

 

そして「嫉妬」は正面切って向かい合いづらい感情でもあります。

 

 

なぜなら、「嫉妬」を覚えることは、その人に対し、その部分において「負けている」「劣っている」ことを本能的に悟り、受け入れられない状態であるということでもあります。

 

 

 

或いは、自分の「価値」をその対象者に依存し、その依存心を対象者から否定された(と思わせるような出来事があった)ということでもあります。

 

 

 

 

 

だから「嫉妬」を覚えると、つい「傷ついたプライド」を補完するために、人は悪口を言ったり、噂話を立てたりするのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

でも、結局それを無視したり、「あいつのせいで…」とばかりいると、結局同じような場面が何回も繰り返されて、同じような不快感を味わい続けることになりませんか?

 

…実際私もそうでした。

 

 

 

 

 

 

そもそも自分の「嫉妬心」を呼び起こす根源は何なのか?

 

 

 

 

それに向き合い、具体化できたら

 

 

 

例えば努力して相対的に上回る、認めさせることも一つの手ですし…

 

 

「自分自身のあり方を中心とした価値感」を見出して確立することと、これまでの価値観を手放すことに、意識と努力を傾注することも一つの手ですし…

 

 

 

 

 

ただ、「精神衛生面」や「上には上がある」という言葉もあるので、個人的には後者をお勧めします。

 

 

 

 

 

いずれにせよ「嫉妬」を覚えたら、自分を成長させる「努力の根源」として、生産的に利用したいものです…

 

 

 

「生涯最愛の物を手に入れるまで、晴天ばかりは続かない、身体が気づいてる」

(B'z「Easy Come, Easy Go!」)

とか…

 

 

「カンタンにいかないから生きてゆける」(YUI「LIFE」)

とか…

 

 

 

 

今日、息子がかつて1年間お世話になった幼稚園に、「ブレインジム®」の提案にお伺いしました。

 

 

対面した事務局長さんによれば、感触は決して悪くない反面、現場の先生方にどうお伝えするかがやはり難しい。私自身が落とし込んで、納得しないと伝えられない…との回答。

 

 

そうだよなあ…「特徴」は伝えられても、「具体的な理解」と相手の「必要性」に如何にヒットさせるかは、これまでずっとの課題


でも、簡単にいかないからこそ、いったときの成果も大きい筈…
 


楽しみながら、今後もCHALLENGEしていこう…

私がかつて大学空手部に在籍していたときに、こういう言葉を習いました。

 

 

 

「両極端は一致する」

 

 

 

一見、真逆なように見えても、その本質は一致する…例えば「右翼」と「左翼」もイデオロギー的には真逆でも、過激かつ原理主義ともとれる教義で、社会一般としての思想にはなりえないように。

 

 

 

 

ダイヤモンド社「ハーバード・ビジネスレビュー ベスト10選」

Chapter4「レジリエンスを鍛え上げる」(ダイアン・L・クーツ)より

 

ベトナム戦争においてベトコンに捉えられ、捕虜として8年間拘束されたジム・ストックデール将軍によると、捕虜の生活に最後まで耐えられなかった人の特徴として「楽観主義者」を挙げていました。「クリスマス」には出られる、それが叶わないと、次は「復活祭」。その次は…そして失望が重なった末に…とのことでした。

 

 

 

楽観主義者も悲観主義者も、目の前に起きている現実の「構造」を見ることをせず、ただ「何とかなるさ…」か「もう、だめだ…」と感情的にしか見てないという点では、確かに一致します。

 

 

 

目の前に起きている厳しい現実において逃げたり、自分に都合よく解釈したりするのでなく、①「現実主義的に徹底して」向き合い、②辛い中にも「前向きな意味」を見出し、③「今あるもの」で何とか切り抜ける…というのがレジリエンスを鍛える行動指針とのこと。

 

 

 

 

でも、それがいきなり目の前に困難が生じたときに、果たしてそう意識して行動がとれるだろうか?……例えば、普段ありがちな「小さな困難」を、「運が悪かった」や「面倒くさい」で片づけず、「なぜこうなった」、「どうすれば起こらないか」などと一つ一つ真剣に向き合うことが、生きた「学び」になるのではないでしょうか?