日曜日 | 娘とおかあちゃん。(かしこくなりたい)

娘とおかあちゃん。(かしこくなりたい)

いくつになっても世の中には、分からない事がいっぱい。
もがきながらもシンプルで賢く生きていきたい。
シンプルとはほど遠い頭の中を書いています。
障害者区分5の18歳の娘です。

日曜日は、娘と過ごす。わくわくして過ごすわけではない。

事業所に行かせないから、一緒に過ごすだけ。

私は、多分人と過ごすのが苦手だ。必要以上に自分の行動を制限する。しんどくなる。

これは、娘ともそうだ。朝から晩まで一緒に過ごすと、息が詰まる。家にいるのが苦痛で、日曜日は少しでも外出する。

でも行けるところが限られる。大抵は公園。屋外がいい。室内で、娘が声を出すと一斉にみられる。日本語でない声を出すからだろうと思う。

天気も良かったので、公園に行った。大きなイベントがやっていて、肉まん、唐揚げ、ハラミ丼、アイスを買って、半分こして食べた。公園内を散歩した。

それだけでも家にいるよりまし。娘をほっといたという罪悪感から少し逃れられる。

帰りに、ケンタッキーによって鶏の日パックを買って帰る。

帰ったら、お菓子が食べたい、音楽が聴きたい、これがしたい、なんたらかんたら、これを、あー、のみで訴えてくる。バリエーションがないのでわかるが、次々に言われるといやになってくる。無視をするのはかわいそうでできない。でも答えるのもしんどい。

日曜の夜は一人外出する。だから、我慢している。娘の言うことも聞いている。夜にモールに行って、ウロウロするだけだけど、1人で自分の思い通りに動けること、それだけで心が少しだけ軽くなる。

親だから仕方ない。自立のない子供とずっと一緒に過ごすことは、しんどい。諦めなければ、もっとしんどい。私の人生はそういうものだと思わないと、もがきそうで怖い。

不幸せではないのだから、それでいいんじゃないかと思う。

娘も、私と一緒に暮らせるうちは、それなりに幸せだろう。

いっしょに暮せなくなった時を想像すると、胸が重くなり、苦しくなる。真剣に私がこの世からいなくなる時、連れていくことを考えることがある。彼女の人生なんだから、と思うこともあるけれど、保護してくれる人がいない中で生きていくことが彼女にとっていいのか、と考えてしまう。

 

日曜は、気が重い。

もっと私が、優しくて、人が好きな人間だったら、違ったのだろうか。