⬇️ 以前✤ 交通事故エピソード ✤ パート1✤を綴りました。
今回は パート2を記録しておこうと思います✩(^▽^)b
我が家の歴史の1ページとして 娘の交通事故という
忘れられない大きな出来事だったので 記録保存致しますが
過ぎてしまえば笑い話なので 安心して読んでくださいね
1992年(平成4年)11月12日夕方 夕食を準備していた時
我が団地の電気屋さんから 突然!電話がかかってきました。
「うちの店の前で バイクに乗ったお宅の娘さんが トラックに
衝突して怪我をされています今 救急車の到着を待ってます」
もうね!大パニックで 家を飛び出したら お向かいパパが居て
すぐに車で 電気屋さんまで連れて行って下さいました🚗
丁度!娘を乗せた救急車が発進する直前で「この娘の母です!」と
救急車のドアに取り縋って 何とか乗せてもらえました。
車内で蒼白で呆然としてた娘と対面「事故しちゃった…ごめんなさい」
先ずは 命に別状がないことに 一安心でしたが「指が痛い」と
いうので見たら 左の人差し指がぶらんぶらんで取れそうでした😱
救急隊員の方は 指の心配より 右臀部から流れ出ている
血や脂肪の方が酷いと そちらの心配ばかりされていました
🏥救急病院に搬送されて 即!手術室に運ばれました。
当時は携帯電話はまだ普及してなかったので、病院の☎️電話から
パパりんの会社に電話して すぐ病院に来るように伝えましたが
パニックの声での「バイクでトラックに衝突して今から手術する」と
いう電話だったので パパりんは覚悟をして 病院に向かったそうです
手術は無事に終わって…ドクターからの手術説明がありました。
右臀部がポケットのように開いていたそうで内部の壊れた組織を
全部きれいに掻き出してから 縫い合わせて 取れそうだった左手の
人差し刺し指も ちゃんと縫ってもらえたそうです。
娘が手術中に何度も「踊れるようになりますか?」と訊いたそうです。
「傷口が見えないように きれいに縫いましたよ」という
説明を聞いているうちに 体の力が抜けて倒れてしまった私でした
パパりんが病室に飛び込んで来た時は 娘と私が各々ベッドで
寝かされていたのでビックリ仰天したそうです!!!(゜Д゜≡゜д゜)!!!
突然の娘の事故で 過呼吸と貧血で倒れたけど 落ち着いたら回復して
後になって このエピソードは笑い話になりました(^-^ゞ
他人様の交通事故には 気丈に振る舞えた私も 家族の事になったら
まるでダメ子さんだったという事でした(笑) ┐( ^ ^;)┌
半月後 退院した娘は 警察からの呼び出しで 現場検証を受けました。
店頭に違法駐車していたトラックに バイクでぶつかった地点と倒れた
地点を計測したら50mも吹っ飛んでいたそうです☆((゚m゚;)マジカヨ!!
バイクは反対側車道に 吹っ飛んでメチャメチャに壊れていたし
被っていたヘルメットはボコボコに凹んでいて改めてゾッとしました😱
「運よく対向車が来なかったから命拾いしたね」と言われたそうです。
娘も ぶつかってから吹っ飛んで 着地まではスローモーションだったと
言ってたので 50mも飛んだことは事実だったのでしょう(;´▽`A``
晩秋の夕方で 見通しが悪かったにしても 停車していたトラックにかなりの
スピードでぶつかった娘には 明らかに非があったのですが(^^;)ゞ
トラックの運転手さんも 駐禁の場所に駐車してたのも悪かったと反省され
お見舞いにも来て下さって 入院費も全て 保険で補償してもらえました
事故後の道路の後始末は 事故当日の深夜 パパりんと武が 箒や塵取りを
持って行ってきれいに掃除してくれました。
私は翌日 お電話下さったお店の方に 菓子折り持参でご挨拶に伺いました。
過ぎてしまえば ツッコミどころ満載の 娘っち☆の交通事故でしたが
あの時は 生命が縮んだような…そんな怖い体験でした┐( ^ ^;)┌
♪*:.。. .。.:*・♪*:.。. .。.:*・♪*:.。. .。.:*・♪*:.。. .。.:*・♪
娘は 11月12日に入院して11月27日には 退院できましたが
15日間の入院生活は 毎日 大学のお友達や ダンス仲間が
入れ替わり立ち替わり お見舞いに来てくださっていたので
いつも乙女達の笑い声で満ち溢れて それはそれは楽しい日々でした
⬇️ 💐お見舞いで頂いたお花💐で 病室はいつもいい香りが漂っていました💕
⬆️ 縫った左人差し指が 痛々しいけど綺麗にくっつきました☆(*^▽^*)vイエーイ!!
ダンスも踊れるようにと 歩くリハビリもすぐに始まり 順調に回復していました
若いって本当に!素晴らしいですよね☆彡(゚∇^d) グッ!!
⬇️ 毎日退屈しないようにと お友達がお見舞い下さって 賑やかな病室でした
⬇️ お友達に戴いた 熊ちゃんのぬいぐるみを抱っこして 幸せそうな娘でした
事故当時に着ていた 森英恵ブランドの大学の制服は ボロボロになったけど
命に別状がなくて本当によかったですヨカッタ~☆(v´∀`)ハ(´∀`v)ヤッタネ☆
そして入院生活は 楽しい想い出がいっぱいで とても幸せだったそうです
禍福は糾える縄の如しと言われますが 本当にそうだと思いました。
神様は試練もお与えになるけど 必ずご褒美を用意くださっていますもの(*˘︶˘*).。.:*♡
⬇️ 私も大病をして何度も入院しましたが 本当に辛かったのは手術後迄で
回復期になると お友達がいっぱい出来て 毎日が超!Happyでした( ´͈ ᗨ `͈ )◞♡⃛
親子って…こんな所まで よく似てるのかもしれませんね٩(*ˊᗜˋ)人(ˊᗜˋ*)۶
入院して楽しい想い出が増えることって 何て!Happyなことでしょう