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嵐のブログ

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去年のGW明けに、長期入院していたNさんが亡くなられたと電話があった。享年5*歳である。Nさんの家は栃木にある。礼服を取りに帰り、係長と一緒に栃木へ向かった。課長は、明日合流するとのことだった。



2年前にさかのぼる。昼食の時、Nさんが斜め前に座った。小皿の一品料理とおにぎりしかトレーにのってない。

「ダイエット中の○○子さんより少ないですね。」と、軽い冗談で言ったのだが、Nさんは悲しそうだった。そういえば最近体の調子が悪いと言っていた。言わなければよかったと思ったが、後でもっと後悔することになる。

その後、Nさんは胃癌で入院し、「周りの人が気づかなかったのか?」と言う人もいて、少し責任を感じた。


手術は無事に成功し、お見舞いに行く。病室のそばに行くと、Nさんが看護師さんと楽しそうに話していた。「よう、嵐君。」大きな声は出ないみたいだが、元気そうだ。少し話しをした後、仕事の方は大丈夫だから心配しないで、といって帰る。


術後の経過もよく、半年後仕事に復帰となるが、検査が継続してあることや、単身赴任は無理ということで、神奈川の事業所ではなく、しばらく栃木の事業所で、デスクワークをすることになった。

製品の評価、不具合解析のエキスパートで、海外工場へも出張して活躍していたNさんにとっては、とても窮屈だったと思う。現場で汗をかいて仕事をするのが好きな人だったから。


年が明けて、こちらの職場に戻り、栃木といったりきたりするようになる。もう大丈夫かと皆思っていた。

病院へは検査で継続的に通っていたそうであるが、3月になって検査入院し、そのまま入院となる。課長宛に電話があり、癌が再発したとのことだった。


前回元気だったイメージがあったのと、仕事が忙しかったこともあり、お見舞いに行くのを2ヶ月ほどサボっていた。そこへ訃報が入る。最初の入院から1年、再発から約2ヶ月、人の命というのは、あっという間だった。


つづく

ルーブル美術館展を見に行こうかなと思いつつ、混んでいそうだからやっぱりやめることにした。


美術館へは、ときどき思い出したように行くときがある。年に1、2回ぐらいだ。きっかけは学生の頃に見に行ったねむの木学園の美術展だ。

ご存知の方も多いと思うが、ねむの木学園というのは、宮城まり子さんが42年前に設立した、障害のある子供たちのための学校である。そこの子供たちが絵を描いていて、学園内の美術館で展示している。ときどき各地の美術館で美術展を開いており、いまは金沢の美術館で開催しているようだ。


そのころは全然絵には興味がなく、先輩に誘われるがままについていったのであるが、原色基調の色使いに、脳の使っていないところを刺激されているような感じがした。そんな絵が並んでいる中を歩いていて、一つの絵に目がとまった。

やわらかい背景色の中に、微笑んで座っている女性の上半身をかいている絵だ。その女性のやさしさと、絵を描いた人の愛情が伝わってくるような気がして、しばらくの間、その絵を見ていた。「お母さん」か「母子像」か、絵のタイトルは忘れてしまったが、宮城まり子さんを描いたものだろう、彼女と子供たちの関係が分かったような気がした。

うまく説明できないけれど、子供たちのまっすぐな気持ちと、それを支える先生や宮城まり子さんの努力を、絵を通して感じることができて、共感と感動をよぶのかなと思う。

その後、有名な画家含め、いろいろ見てみたけれど、「共感」できる絵はなかなかない。


ホームページで、”子供たちの絵”というところから、絵を見ることができます。当時のはさすがにないんでしょうが...リンクを貼っておきますので、興味のある方はぜひ見てみてください。自分が気に入ったのは、「はっぱの中でひるねしたよ」です。

http://www.nemunoki.or.jp/



全然関係ない話ですが、昼ご飯にいった店がキレイだったので、店員さんに、「(店が)キレイですね。」といったら、とてもにこにこしてました。後できいたら、(自分が)キレイとうけとっていたそうです。そのままにしておいたほうがよかったかな?

先週末、職場で定年退職を迎えた人を送り出した。

1968年4月に入社、自分が生まれる前だ。勤続41年...自分の人生より長いと思うと、凄いなと感じる。


自分のグループのメンバーは総勢11名であるが、自分より年下は2名、後は40代1名、他はみな50代である。

来年定年を迎える人、再来年に迎える人もいる。


このグループに来たのは4年半前。「嵐くん(仮名)、このグループは10年後には定年でみんないなくなっちゃうよ。」と冗談でいっていた人がいた。その人は昨年、胃癌で亡くなられている。

健康で定年を迎えることが出来るのは、とてもありがたいことだと思う。


「退職してしばらくはお休みしますが、そのうちまたどこかで働きたいと思います。」という言葉に、働くことの喜びとか大切さを教えてもらったような気がする。

「やめたい」「休みたい」「会社行きたくない」「仕事嫌い」とか思ったりする自分も、いつか悟りを開いて、「仕事すき!」といえるようになるのかな?

床屋にいった。少し込んでいたので、15分ほど待つことに...ふと本棚を見ると、漫画や雑誌に混じって、ぽつんと「女性の品格」があった。

最近はあまり本を読まなくなってしまったが、つい手にとって見た。読んだのではなく、見た。そうとうな斜め読みをしてしまった。


ざっと読んでいるなかで、印象に残っているのは、「公共の場では、弱いところを見せないのが品格ある態度だ」という感じの内容だ。「どんなに立派な人でも、弱いところは必ずあるもので、それを公の場では見せないようにするのが品格のある態度だ」というようなことが書かれていたと思う。(だいぶあいまいだけど)


こういう文章を書いていると、やっぱりかっこつけるというか、自分の弱いところ、かっこよくないところはあまり書きたくないものだ。この本には、それでいいのだと書いてあった。そういうところを書く場合は、自分の中で昇華(消化?)して、冗談としていえるぐらいになってからにしなさいというこどだ。


文章を読む、あるいはメッセージを受け取る側からみると、たしかにあまりに未消化な感情はつらいかもしれない。


また、そういうものを見せない、あるいは積極的に昇華してしまう心や姿勢が、その人の品格をあげていくのだろう。


まあ、完璧な、品格のある人だけだと世の中が面白くないので、少しぐらいは弱いところを見せるのもいいかなと思います。好きな人にそういう弱いとこを見せられると、「何とかしてあげたい」って思うしね。

週末、川崎市役所の駐車場をときどき使います。

買い物したりして、8時ごろ戻ってくると、ホームレスの人が10人ほど集まっているんですよね。そんなに怖いとは思いませんが、海外だったらそういうところは絶対近寄れないなあと感じます。


なりたくてなっているわけではないんだろうけれど...どうしてホームレスになるんだろう?と思うときがあります。プライドを捨てて、しがみついてても働けば、もう少し人間的な生活もできるのではと感じるのは、自分が世の中の実態を知らなすぎるのですかね?


自分の父は、昔ニット業をやっており、一応社長で結構羽振りがよかったらしいです。でもオイルショックで景気が悪くなり、会社は倒産しました。近所の会社もあちらこちらで倒産して、一家心中が多かったようですね。(暗い話ですいません)

でも、父はそれをせず、ちゃんと働いて、家族を養ってくれました。母親がミシンで縫った服を、あちこちの市場へもって行き、売っていたそうです。口で言うほど簡単なことではないだろうと思います。借金をまだ抱えていた中、自分も大学まで行かせて貰ったし...父の嫌いなところも多いのですが、ここだけは尊敬して、かつ感謝しています。


一方、ほんとに働くこともできない人もいるでしょう。先日北九州へ行ったとき、昼頃散歩をしてたら、公園にホームレスのおばあさんがいました。寒い時期で、つらそうに足をさすっていました。切ない気持ちで、ただ見ていることしかできず、自分は無力だし、冷たいのかなとも思いました。



取り留めのない話となりましたが、ホームレスがいない世の中(排除するという意味ではないですよ)を考えると、働ける人(たくさんいると思います)は働くべきだし、そうでない人は国に守ってほしい(イージス艦なんて買ってないで)ということですかね。そんな世の中にするには、自分になにかできることがあるのでしょうか?